邦画の中のブルース

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 26.2016 映画よもやま話
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「ディア・ドクター」を少し前に観た。
話は面白く楽しめた。
だが一つ、とても残念だったことが選曲。映画はブルースの曲とともに始まる。この時は誰の曲か分からなかったが、ブルースハープを聴けば自然と彷彿させるものがミシシッピデルタの湿気であり、泥色のミシシッピ川であり、あるいはシカゴのソウルフードであり、フライドチキンであり、ブルースバーであり、酒の匂いであり、またあるいはステレオタイプかもしれないがオーバーオールを着た黒人のおじさんがハープを吹いている姿であったりする。

懐かしい日本を偲ぼうという思いで邦画を観て、いきなりシカゴでお馴染みのブルースがかかったもんだから面食らったのもあるかもしれないが、ブルースとともに流れる映像が、どう見ても日本のアジア的な水田風景であり、日本の農家なわけで。。。。この2つの結びつきが私の中でマッチせず、すごい違和感を感じてしまった。
私が日本の田舎の農村を歩く時、あるいは車で通る時、頭に流れるだろう音楽は絶対にブルースではないからだ。私だけでなくほとんどの人がそうじゃないだろうか?日本ののどかな水田風景を見て、「ああ〜、ブルースだねえ。。。」ってならないよ。

映画って、建築と同じでトータルの芸術なので、何か一つ間違えると致命的になる。
映画音楽は登場人物の心情を表していたり、これから広がるストーリーを示唆していたり、登場人物の行動や、スクリーンの中に広がる光景に何かしらリンクしていないといけない。かかる音楽が予想外の意外性で「ここにこの音楽がかかるか。。」と、そのタイミングと巧みさに唸らされることは多々ある。音楽を使う映画を作るのならば、監督自身がある程度音楽に造詣が深くない(または詳しいスタッフに任せないと)と、観客に「ダサい」と思われてしまう。
調べたらモアリズムという日本のブルースバンドの曲らしいが、曲が悪いのではない。映画のあらすじを見ても、どうしてブルースが使われたのかよくわからない。

その違和感を忘れていた頃、「百円の恋」を観た。
この映画でもブルースがかかっていて(最近の邦画の流行りなのか??)、驚いた。だが、この場面のブルースはとても似合っていて、いいなあ、と思った。
主人公の、社会の底辺をさまよう負け犬女の姿に、人生に、ブルースしかないだろう、ってくらいよく似合う。
。。。私だって好きでこうなったわけじゃないんだけど、いつからこんな風になっちゃったんだろう?どうにかしなきゃ、と思う気持ちさえ面倒くさい。仕事もせず、男もいず、女も捨て、夢もない。
働き始めた100円ショップの仕事仲間も、どうしようもないクズ人間ばかり。恋をしても、相手のクズ男にさえ捨てられる。。。。
人生って、そんないいことあるはずないじゃん。。。。
ブルースそのもの(笑)

対照的な、「ブルース曲を使った邦画」ということでこの2つの映画を取り上げたのだが、「百円の恋」がとてもよかったので感想を少し。
腐っていたダメ人間がやる気を出して成功して幸せになる。。。。なんてなってしまったら「ロッキー」になる。
この映画は、ダメダメ人間がちょっとやる気を出してボクシングを始め、だんだん本気になってプロのボクサーの試験を受け、試合までするようになる。だけど試合ではボコボコに打たれて負ける。結果は負けだが、打たれても打たれても頑張る。
この先、大きな成功が待ってるわけでもなく、いい男が現れるわけでもないかもしれない。
だけどちょっとだけ、彼女の人生で何かが変わったのだ。大きくではないが、何かがちょっと。
そこらへんが、リアルである。
人間は、なんだかんだと夢を見がちだ。自分は大した器を持ってないくせに、大物になれる、天才肌だ、などと自己を過大評価する人間が社会には結構いる。
この映画は、人間は自分に見合うだけのものしか手に入れられないんだよ、という現実をどーんと突き付けてくるが、決してネガティブではなく爽やかな印象さえ残す。ちょっとやる気になって、ちょっと前進する人間でいいじゃないかと、彼らに向けられる眼差しが暖かいからでもあろう。
安藤サクラさんがいいですね。彼女の魅力は一口では語れない。美しいから魅かれる、というのとは反対で(笑)、怖いもの見たさで彼女の作品を追いかけてしまいそう。
美人な女優というのは、例えば「死の棘」の松坂慶子が、ノーメークで壊れた女を演じても、やっぱり美人っぷりは隠しようがなく、スタイルがいいのでズロース一枚になっても足が長くて綺麗なのだ。
ところが安藤サクラのような女優は、ブス役が思いっきりできて、下着姿になっても別の意味で迫力があり、それはそれは彼女の役者魂っぷりが極めて高いことがわかる。しかもこの方は、化粧や衣装一つですっごい美人に化けられる人なので、それも怖い。ブスになりきれない美人より、こういう役者は貴重なんじゃないかしら。


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ビリー・アイドル

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 25.2016 音楽/歌詞
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Billy Idol

今夏もコンサートに色々行きましたが、沢山あってこちらのブログにアップするのが大変遅れてしまいました。
7月のビリー・アイドル。Taste of Chicagoというフェスティバルにてのコンサート。


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昔のビリーしか覚えていない人は「年取ったなあ」と思うかもしれませんが。
私は去年彼のコンサートを観まして、相変わらずの元気ぶりに驚いておりました。


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いやー、大したものだと思います。ロッカーは肉体労働です。
ヴォイストレーニングだって積んでいなければ声は出なくなるし、この年齢で迫力あるステージを張れるって努力の賜物。
ヨボヨボで動けなくなったらロッカーは終わり。ビリーも終わり。


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しかも、夏の屋外ライブは暑い。じっと立ってるだけでも暑い。
それでビリーは長袖衣装着てますから。ファッション重視してきたミュージシャンって、イメージ崩せないから大変。
Tシャツ短パンでデビューしたロッカーたちって、年取って楽だと思うよ。アメリカ人に多いですが。そういう方達は確実に体型も崩れてきておりますね。
ビリーは維持しています。大したものです。


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夏は立て続けにいろんなミュージシャンを撮りましたが、一番フォトグラファーを疲れさせてくれたもの、このビリー・アイドル。
ステージをエネルギッシュにあちこち動き回るから。アクションが多いから。一時も同じ表情をしないから。フォトジェニックなアングルがありすぎて、フォトグラファーは移動に大変なわけです。
しかも見せ場を沢山作ってくださる。こちらは息をつく暇もない。


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暑い日だったので、途中でさすがにビリーも暑くなって上着を脱いだのですが。。。その一つ一つの動作が絵になるのね。
「常に見られている」ことを意識してきたスターならでは。
なかなか、頭の先からつま先まで手を抜かないパフォーマーっていないです。皆、人間ですから。売れっ子でも隙を見せます。ちょっとしたことに手を抜かない人って、プロの中のプロだなあ、と思う。ステージの裏ではいい加減人間かもしれないけれど、ステージ上でビシッとする人。
いい意味でも悪い意味でも、最近は舞台裏と舞台との差があまりないミュージシャンが増えてきているので(親しみやすさからいうととてもいいのですが)、こういうスターらしきスターって、貴重だなあ、って思う。


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素晴らしきパフォーマーでありスターのビリー・アイドル。
いつまでこういうパフォーマンスを見せてくれるのか。まだパワフルに活動中。
イギリスの悪ガキは、悪おじさんになりました。このまま悪ジイさんになるんだろうな。


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オリンピックが終わり、夏も終盤

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 24.2016 日々あれこれ
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今年のシカゴの夏は、平均して毎日暑かった。日中どんなに気温が高くとも、夜はジャケットが必要なんていうのがシカゴの夏なのだが、毎週毎週暑かった。

オリンピックの閉会式の日、夏が始まって以来初めて、湿気のないさわやかな青空が広がった。
オリンピックとともに、夏も去っていく。

NBCで観ている限り、日本勢がどの種目に出てどのように頑張っているのかは全く見えてこない。
当然ながらアメリカの選手に焦点を当ててばかりだし、半端ないメダルの嵐の国なので、それを追っているだけで放映はギリギリ精一杯。
たまにネットで日本をチェックすると、日本も今までにない勢いでメダル獲得しているじゃないか。それをテレビで見れないのは残念だった。と言っても、今やどの競技もネットで配信されている。
だからAppleTVで日本勢のスポーツを観戦したのだが、一切アナウンスもコメントも入っていない競技を淡々と見るのは迫力に欠け、観戦の盛り上がりにはコメンテーターの言葉や観客の応援の音声効果などがいかに大切なのかがよーくわかった。

スポーツ大国アメリカは、毎回メダルの数が飛び抜けている。
今回は121個。金メダルだけでも46。これだけメダル獲得が珍しくなくなる国というのは、当然メダル一つの重さが他国とは比較にならないくらい軽くなる。
金メダルを取ればレポーターは駆け寄り讃えるが、マイケル・フェルプスのような選手がいるので、「23個目!」「24個目!」なんていう放映の後には、1個や2個の金メダルは大したことのない印象になってしまう。
ブライアン・マーフィという21歳の競泳選手も初五輪で金メダル3つも取ったのだが、スポットライトはフェルプスに持って行かれた。1回のオリンピックで3つの金を取るということは、本当にすごいことなのだ。他の国なら名誉国民になってもおかしくない。アメリカのスポーツの層の厚さのすごさは、この程度だと人は大して注目もしないという点からもわかる。
ブライアン・マーフィは、後2、3回はオリンピックに出て金を取り続けないと、国民のヒーローにはなりえない。

オリンピックメダル選手の扱いについては日本とは対照的で、日本はたった一つの金メダルが国民の記憶に残る重さを持っており、メダルの色が金でなくてもしばらくちやほやされ続け、運が良ければスポーツ界以外で売れっ子になる。
アメリカの9割以上のメダリストたちは、地元や出身クラブのヒーローになっても、アメリカ人たちの記憶に残ることもない。ただ、メダルの重さは121分の1であっても、選手個人にしてみれば重いことには変わりなく、意味も大きい。メダリストでもちやほやされないだけに、次のシーズンへの練習にも集中して打ち込めるだろうし、それはアスリートにとっては健康的な環境であるともいえよう。
アメリカ人は放っておいても必ず誰かしらがメダルを取ってくれるので、一人の選手への偏ったメダルの期待もメディアはしない。その点は、日本の選手はあまりに期待されすぎて、かなり気の毒だ。
だいたい、オリンピック代表枠に入るのが精一杯できた選手と、なんとかしてメダル獲得が目的のレベルの選手と、オリンピックで金を目指している選手たちは大きく3つに分かれていて、どの競技もかなり開きがあり、ギリギリ選手がメダルを取ることなどまずないわけだ。
層の厚いアメリカはその現実にとても冷静であるから、メダル候補でない実力の選手に「16歳の初オリンピック。メダル獲得なるか?」なんて酷なレポートはしたりしない。

男子体操では、アメリカばっかり放映していて、日本が団体で金を取ったのは後で知った。ライブで見たかった。
それから印象的なのは、陸上のリレーで日本がジャマイカについで銀メダルを取ったこと。だいたい、日本が決勝まで残ったのも知らなかったから、これも後で知って驚いた。
コメンテーターも「な、な、なんと、驚くことに、日本が銀メダルー!!」って叫んでいた。これこそ、世界の誰もが予想だにしていなかった結果だろう。
アメリカ人の友達から、「一体日本どうしたの?」とからかわれるように聞かれた。陸上国家アメリカの人たちに対して、「もともと日本のお家芸だよ、知らなかった?」とは冗談でも言えず、「うーん、どうしたんだろうねえ。。。わからん」としか答えられない。
しかしまぐれで銀メダルは取れないので、日本も素材と環境が整えば、陸上で活躍できる事も不可能ではないのだと思いたい(ウサイン・ボルトをコーチとして金で呼ぶとか?無理だよ)

かつてルーマニアは体操女子の王国だった。それがアメリカに変わったのは、周知のようにカーロイ・ベーラとマルタ夫妻コーチのおかげだ。体操界を変えたナディア・コマネチのコーチがアメリカに亡命し、今はアメリカの選手を育てている。
素材があっても、良き指導者がいなければ選手は育たないことのいい例。アメリカはその点、世界各国から才能がやってくる寄せ集めの国だ。オリンピックのメダルの数は、アメリカとはどういう国かということをよく物語っている。
今回の他国の金メダリストたちも、将来アメリカにやってきてコーチ業につく人は少なからず確実にいる。自国の選手を育てたくとも自らの生活の保障を考えると、アメリカを選択せざるをえない場合も。
自分と違う国籍の選手をメダリストにし、選手の国旗を見るときに、一番「国別メダル数って意味ないなあ」って感じるのは誰よりも指導者たちだろう。
そう、ノーベル賞も同じだ。アメリカのノーベル賞受賞者って、アメリカ生まれじゃない人が多いし。
秀でた才能があればウェルカムの国。秀でた才能を育むのには最高の国。それはとてもいいことだ。生まれた国で伸ばせないことを、この国は支援してくれる。それがメダルやノーベル賞受賞数に反映されている。

日本がアメリカや中国のようにメダル国家になることはないだろうけれど、ちょうどいい位置にいるんじゃないかな。メダル数もバランスよく、注目される競技も選手も増えてきて、それが次世代につながる。まず優秀な選手が出てこなければ、優秀な指導者は生まれないってことですから。鶏と卵ですが。
「ちょうどいい位置」というのは、オリンピックで国民が適度に盛り上がれるレベルということ。ということは、刺激されて興味を持って何らかのスポーツを始める子供も増えるし、鍛えられたオリンピアンと自分の体を見比べて「これじゃいけない」と運動始める大人も増えるということだ。世界には「オリンピックなんてよその国のもの」と注目されない国々がほとんどだし、またオリンピックがあまりに力を持つと、国ぐるみのドーピング問題など、健康なはずのものが一気に不健康になる。何でも「適度」がよろしい。
日本のオリンピック放映を全く見ていないからハッキリしたことは言えないのであるが、結果のメダル数だけ見ての感想である(だからすごくずれているかもしれない。笑) 

ちなみに、オリンピックが終わって2日目ですが、121個もメダルを取ったアメリカは、すでにオリンピックのことを忘れております。
これからアメフトのシーズンなので、国内スポーツ地元贔屓が始まります。
いつまでもメダリストたちをちやほやしないアメリカのメディア、その点はとてもさっぱりしていて毎度見ていて気持ちがいい。


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Tattoo

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 18.2016 日々あれこれ
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「刺青」というとタブーなもので、「タトゥー」というとファッショナブルなものになるのも不思議だが、最近はタトゥーと呼ばれているのでそうしよう。

アメリカと日本では刺青の文化の背景が全く違うので、アメリカでは男性も女性もかなり自由にタトゥーを入れる。かなり前からではあるが、最近は特に自由になった。
自由なアメリカにもタトゥー文化の浸透には変遷があり、最初は軍人や船員や港湾労働者、あるいはミュージシャン。。。ミュージシャンの中でもロッカーは派手に掘るけどカントリーやフォークミュージシャンはしない、というようなところもあった(今は誰でもやる)。
そしてアスリート。NBAの影響でバスケの選手は全身タトゥーでテレビ放映OKであるが、オリンピックの陸上や水泳選手で見ることはなかった。

だが今年のリオ五輪で、アメリカの水泳、アンソニー・アーヴィン選手の両腕の色あざやかなタトゥーがかなり目立っていた。
日本ではいないが、男女ともに肩とか胸、背中に一つ二つの単色タトゥーはよくいるが、両腕鮮やかは、自由なアメリカでも「ほおお、ここまで自由になったのだなあ」と思わせるものがあった。
水泳競技でタトゥーは禁止とか、オリンピックで禁止などというルールはもちろんない。が、どこかに、アメリカでも日本とは違うタトゥーへのタブー感があったのは確かだ。それは一般社会でも。
日本と違ってアメリカでは「タトゥーといえばマフィア」などという観念はないが、肉体労働者やならず者が入れるもの、またはミュージシャンみたいな自由業的な人のもの、という観念があり、ホワイトカラーが(たとえスーツでそれが隠れたとしても)胸や背中にタトゥーを入れることはまずなかった。
。。。。と考えるのは、現在30代以上の人間。
ガラッと変わるのは、タトゥーへの敷居がぐっと低くなるのは、アメリカでも現在20代の人たちの話。
特別に自由業に属してなくても、昼間スーツ着て仕事している人たちも、腕とか肩とかにタトゥーを普通に入れているのが今の20代。おそらく20年前の、「黒い髪を金髪に染める」くらいの感覚で。

ファッション感覚の変遷は見ていると面白い。
オリンピックの水泳で、両腕鮮やかタトゥーはさすがに今年は目立ったけれど、アンソニーは年齢35歳にして金メダルと取った。あの映像で「あ、入れても大丈夫なんだ」(現役の若いスイマー)、「あそこまで気合い入れてタトゥー入れて勝つなんてかっこいいな」(一般視聴者)、「タトゥーは嫌だけど金メダルという結果残すなら申し分ない」(コンサバ視聴者)と人はそれぞれに思ったことだろう。今後の水泳界でタトゥーは増えて珍しくもなくなるだろう。そして10年20年後にマイケル・フェルプスの映像を観て、「へえ、あの時代の水泳選手って、全然タトゥーが入ってなくてなんか変」とまで思うのかもしれない。
ただ個人的には、水泳選手にはあまりタトゥーを入れてほしくないと思う。オリンピックは様々な筋肉のオンパレードだが、私は特に水泳選手のしなやかな筋肉が大好きで、何も飾りがなくてもすごく美しいと思うからだ。ダビデ像に服を着せなくていいのと同じだ。
あの綺麗な肉体に模様が入ると、筋肉の盛り上がりや影が目立たなくなって残念なのである。

ところで去る4月に日本に帰国した時も、ウェイトレスの20歳くらいの女の子とかが普通に腕や首にタトゥーを入れているのを見て、「ああ、時代が違うなあ」としみじみと思った(笑) 
私が若い頃、片耳に3つも4つもピアスを開けるのを見て大人はそう言ったものだが、それと同じような感覚を味わい苦笑する。
実は高校生の時、「タトゥーを入れたいなあ」と切実に思っていた。桜吹雪や龍の刺青ではなくて(笑)、左の上腕にさくらんぼのタトゥーを。二つのさくらんぼが枝(?)で繋がっていて、葉っぱが一つ。色はさくらんぼの鮮やかな赤に、葉っぱの鮮やかな緑。デザインまで考えていたのだが。
勇気がなくてできなかったのは、世間の偏見とかでは全くなく、自分の趣味がどう変わるかに自信がなかったのだ。今はさくらんぼのデザインがいいと思っていても、大人になったらそのデザインに後悔するかもしれない、という。。。若いうちはさくらんぼが可愛いが、年取ったらアホみたいに思うんじゃないか?とか。
だがしかし、今のところ趣味が変わっていないのに驚く。左上腕に何か入れるとしたら、やっぱりさくらんぼかなあ。何でさくらんぼかというと、別に意味はなくデザイン的なもの。バナナでもメロンでもスイカでもなく、視覚的にさくらんぼは形と色がいいからだ。

人に言わせると、私は全身タトゥーがあってもおかしくないように見えるらしいが(笑)、実はない。
タトゥーはジュエリーと違って、服やその日の気分、TPOに合わせて着替えられない、というのが大きな理由。例えば、ジーンズに白いTシャツのファッションの時は、腕に鮮やかなドラゴンが泳いでいたらあったらかっこいいなあ、と思うが、時にはノースリーブの花柄ワンピースも着たいわけだ。花柄ワンピースにドラゴンは似合わないだろう。。。ってなってしまう。

私が今18歳とか20歳とかだったら、さくらんぼタトゥーは間違いなく入れていたと思う。
若い世代とファッションの時代の差を一番感じるのは、やはりタトゥー感覚にあり。
遊び方にしても、海外へ飛び出すパワーにしても、お金の使い方にしても、私の時代の方が今の若者よりも元気だったのは確かで、その中でも特に元気だった部類に入る私は、今の若者の大人しさにかえってびっくりしてしまう。が、タトゥー感覚だけは、今の若者の方がずっと自由である。

アメリカでは、かつて単色黒のタトゥーばかりだったが、最近は皆色あざやかになりまして。コンサート会場の写真の女性も、左腕に錦鯉。
日本の腕のいい彫り師とか、海外で大活躍できるだろう。たまにすっごく綺麗なタトゥーを見ると見惚れてしまう。
技術が高ければ高いほど見ごたえのある作品に仕上がるアートの世界なので、着替えのきかないファッションならばさらに、腕とセンスのいい彫り師が増えてほしい。
それと入れる側のセンスも高めないとね。身体中に数入れればいいというものではない。空間を考えないといい絵は生きない。
最後にさらに。タトゥーを入れる前に、キャンバス、すなわち自分の肉体そのものを整えないとね。汚い下地に絵を描いても汚い作品にしかならないのだから、絵の具が乗るように、自分の体の骨や筋肉の位置(若いのなら今後の発達も含め)をしっかりと掴み、絵に命を吹き込んでほしい。大胆に大きなタトゥーを入れるのならなおのこと、キャンバスも長年それに耐えられるように鍛え続けていかないと。間違っても、「自分の肉体に自信がないからタトウーで隠す」という発想は持たないようにしていただきたい。
それから、若気の至りで恋人の名前を入れちゃうとかは要注意だ。。。。アメリカ人に多いんですけど(笑) 別れて、新カノの怒りを買うこと間違いなしですから。特に女性は気をつけたほうがいい。「彼のこと一生好きだから」なんてその時は思っても、別れたら忘れて新しい目の前の彼が一番になるのが女性っていうものですから。胸に入れた元彼の名前を、「飼っていた犬の名前」と苦しい言い訳をしなくても済むように、親や子供の名前以外は入れないほうがいいでしょう。
ところで、刺青にコンサバな日本にまでタトゥー文化が浸透したとなると、「俺のこと本気で好きなら俺の名前を彫ってくれ」なんて言う男も出てくる時代なのだろう、きっと。それを愛の証だと思い込みたい若さ(愚かさ)ゆえ。そんな男がいたら、「自信がなくて独占欲が強いだけの男なんだなあ」と哀れんで離れた方がいいだろう。自信がない男ほど、別れた女性に「いつまでも忘れないでいてほしい」と願う気持ちが強くなる。

ところでアメリカのタトゥー文化だが、タトゥーの自由さの方が土台の肉体を整えることよりも先に大きく浸透しすぎてしまっているのが残念だ。
男女ともに、ぶよぶよの、ハッキリ言っておデブちゃん肉体にこれぞという数のタトゥーを入れている人が多い。タプタプした二の腕、女性の真っ白い、カーブのない足全体に。男性の、「妊娠8ヶ月?」と思わせる大きなお腹に。
気合いを入れる場所の順位が違うだろう。。。。と思ってしまうのも否めない。

リオ五輪を観ながら。。。。 どの競技も世界トップレベルの競い合いであるが、彼らの肉体が少しでも一般市民のモチベーションにつながり、「体を整えてからタトゥー入れたほうがかっこいいかもしれないな」と気付く人が一人でも増える。。。。。のだろうか??(疑問)

それから、肌の綺麗な若い女性がたくさんタトゥーを入れるのももったいないなあ、って思ってしまうのは老婆心?(笑。一つ入れると癖になってもっと入れたくなるのもタトゥーの世界。もち肌はそのままで綺麗ですから、ほどほどに。アメリカには引き算の美という感覚がないのが残念ですが、日本人はそれを忘れないでいただきたいなあ。空間の美。Less is More的な。


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Reggae Fest Chicago (2)

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 16.2016 音楽/歌詞
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この長い列。ジャマイカ料理のジャークチキンのフードトラック前。
ジャークチキンは是非レゲエフェスで食べたいものだが、長い列に並ぶ気もしないので食べませんでした。


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Lee "Scratch" Perry

レジェンド、リー・ペリー。80歳。
まだ御健在なのです。しかも海外ツアーをこなしている。


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彼のファンは熱狂的。ライブの後、ファンサービスもしっかりと。


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Toots and the Maytals
ヘッドライナーはトゥーツ・アンド・ザ・メイタルズ


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天気がくるくる変わる1日だったが、最後のステージの撮影が終わる頃雨がポツポツと。。。。
慌ててテントに入りカメラをバッグに。テントを出て帰ろうとしたら、いきなりのどしゃ降り。

日中の日焼けで顔はヒリヒリ。最後はカメラバッグをビニール袋に包んで自分はずぶ濡れ。
のんびりフェスのはずでしたが、結構肉体労働になりました。
でも1年に1回レゲエに浸る1日はいいものです。


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