ハロウィーンあれこれ

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 01.2013 思うこと
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子供(と一部の大人)にとっては単なる楽しいイベント(と化している)ハロウィーンなんだけれど、今年のハロウィーンで気になる話題をいくつか。

先週末、シカゴ郊外の町で、ハロウィーンパーティに参加していた15歳の男の子が銃に撃たれて死んだ。
何十人ものティーンエイジャーを含む100人以上が参加していたパーティだったらしいけれど、事件から3日経つのに容疑者も捕まっていないし銃撃の原因も分かっていない。
高校生がパーティで銃弾に撃たれ死亡したことは、当日だけシカゴのローカルニュースでちらっと報道されるが、別に大きな事件として扱われない。こういうのが日常茶飯事。

これが小学生だったらもうちょっと大きく扱われるのだろう。
だけどティーンエイジャー? 別に珍しくないし。 。。。。そういった感じだ。悲しいけれどそれが事実なわけで。
被害者が20歳以上だったらニュースにもならなかったかもしれない。30歳以上だったら、世間の関心も集まらないし、ニュースネタには絶対ならない。

シカゴでは、毎日どこかで銃で命を落としている人たちがいる。
月別統計で死者数と地域は警察が発表するからネットで調べると「あら、こんなに被害者が」と驚くんだけど、いちいちニュースにならないわけ。

シカゴだけじゃないんだけれど、どこかがおかしいアメリカ銃社会。
簡単に銃規制が出来ない状況も分からなくはないのだけれど、歯がゆい問題である。


それからもう一つ。
ハロウィーンパーティで歌手兼女優のジュリアン・ハフが、彼女の好きなテレビドラマの黒人キャラクターに変装して顔の色を濃いファンデーションで塗って参加したため、「人種差別にあたる」とされて大騒ぎに。彼女は「そういうつもりは全くなかった」と謝罪するはめに。

あのさー。一体いつの時代に戻ってるのよ、と言いたい。
白人が黒人を差別的な意味でモノマネし、笑いをとっていたミンストレルショーの時代じゃないんだから。
彼女は純粋に自分が好きなキャラクターに扮したわけで。バカにした意味合いも読み取れないし、ましてや彼女が人種差別者だとはどんなに意地悪く受け取ろうと思っても無理だろう。
いちいちこんなことに目くじら立てていると、黒人社会は向上するどころか後退するぞ。

他人種がステレオタイプ的なアジア人(つり目にメガネ、みたいな)を演じてもなにも言われない。だが、ステレオタイプ的な黒人を演じると、世間(黒人社会)はうるさい。いや、もうほとんどの黒人たちはそれを笑って見過ごせるほど余裕があるのかもしれないが、一部の人たちと保守的なNAACPが神経尖らせて見張っている。
絵本や小説やアニメの黒人像を、唇が厚いと文句を言い、目が飛び出ていると「ステレオタイプ」だといちゃもんをつける。白人的な顔をしている黒人なら「差別じゃない」とされるわけ。なんかおかしくないか?
挿絵が原因で絶版になった「ハックルベリー」に出て来る黒人像、そっくりな人が私の知人にいるんですけど。全然カリカチュアされていないし、普通によくいる黒人像だぞ?

目が大きいとか細いとか、お尻が丸いとか平たいとか、髪がストレートだとかカーリーだとか、肌が黒いだとか白いだとか、全部個性なわけで、否定や肯定で片付ける問題ではない。
つり目&メガネで描かれる典型的なアジア人像を見ると、「こんな顔した人ばっかりじゃないけどなあ」」とアジア人である私は思うけれど、実際にそういう顔をした人もいるのも事実だ。欧米人から見ると、目の大きいアジア人や背の高いアジア人は典型的ではなく、「つり目でメガネ」という方がやはり「新鮮」で「違って」見えるわけだ。「我々はこんな顔してないぞ」とこっちが言ったって、相手が我々をどう見ているのかは向こうの自由だ。相手が何を見てどう感じてどういう所を面白いと見るか(人間は、自分と違っているところに「面白い」と感じる)は相手の領域なのだ。
それが差別意識や優越感から発せられた偏見なら問題があるが、今の時代、ほとんどの場合においてそうではない。「からかい」は愛情表現の一つだし、親近感から発せられるものだ。

どこをどうやって捩って考えたら、ジュリアンが「差別意識」で顔の色を黒く塗ったという発想が沸いて来るんだろうか?
そう受け取る方が、よほど捩じれているのである。




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過剰包装のいい点

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 16.2013 思うこと
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日本は何でも過剰包装で、以前よりは簡易になったとはいえ、まだまだアメリカに比べれば過剰に映る。
包む文化が昔からあるとか、物の取り扱い(気持ち)が違うとか、サービスや消費者の満足度とか、文化の違いの背景には色々ある。

文庫本一冊一冊に、「カバーおかけしますか?」なんて聞いてくれる国は日本くらいなもんだ。カバーをかけてくれた上で輪ゴムでまとめて、そして袋だもんね。日本人は手先が器用なので、カバーをかけてくれる作業も手早くて、何もしてくれないアメリカのキャッシャーより、過剰包装でも客さばきは速いのだから驚く。

服を買うと、かつては薄紙に包み、そして小さな紙袋に入れ、そして大きなひもつきのデパート袋に入れてくれた。中身よりもかさが大きい。ショッピングに行って帰って来ると、部屋の中が紙袋だらけになったものだ。

アメリカと日本の包装の一番の違いはお菓子類だ。
大袋にバサッと隙間無しで入っているアメリカのチップスなどのスナック類。
それに比べて日本のおせんべいやおかき類の上品なこと。袋の中に、プラスチックの受け皿がある(おせんべいが動いて割れないように)。そして、一枚一枚包んだパッケージ。おかきになると、いく粒かだけセットされて小袋に入っている。そして、小袋一つ一つに乾燥剤!(芸が細かいww)。
チョコレート、キャンディ。。。全てにおいてこの違いは言える。

日本の過剰包装の無駄には常々口を叩いて来た私だが、日本人がアメリカ人みたいに大食いしない、すなわち太らない原因の一つには、過剰包装のおかげもあると思っている。
人間というのは「頭で食べる」生き物なので、小腹が空いたら「リンゴ一つ」とか、テレビを観ながら家族で「スナック袋一つ」空けるとか、数でお腹いっぱいになったり制限しようとしたりする。
日本のおかき類はすぐに手で触れられる存在ではなく、袋を開けたら小袋をまた開けなくてはいけない。そんでもって少量しか入っていないものだから、結構丁寧に食べる。
お腹が空いている時は一つで済むわけもなく、バリバリと次々小袋を開けるのだが、テーブルの上に散らばるパッケージのゴミ類はすさまじいものだ。
量にしたら大した量は食べていないはずなのだが、包み紙や乾燥剤やプラスチック皿の山に「こんなに食べちゃったんだー」と思う。過剰包装によるゴミを見ると、お腹いっぱいになるのだ。いや、本当はまだ食べられるのだけれど、「これ以上食べたら夕飯が入らなくなる」とか脳にブレーキがかかって手が止まる。
過剰包装によるパッケージの一つ一つを開けながら、その音を聞きながら、日本人はお腹だけでなくて感覚で食べる量を自然に制限していると思う。ゴミの山を見なければ、「こんなに食べちゃったんだ」という感覚は鈍り、どんどん食べてしまうのだろう。それがアメリカ人なのだ。

日本人の食生活&食文化とか、ダイエット文化(美意識の違い)とか、さまざまな原因によって日本人はアメリカ人のような肥満にはならない。色んな理由があるのだけれど、この日本の過剰包装文化も肥満防止の役割を担っているのだ。もちろん、肥満防止のために作られた過剰包装文化ではないけれど。

地球には優しくない過剰包装だが、日本人の健康は守ってくれている。
過剰包装がなくなり、スナックの容量が2〜3倍になって値段も味も変わらなければ、日本人はそれをそのまま食べ続けるだろう。「3倍になったから、この1/3の量で止めておこう」とはならないのだ、人間は。

日本はお惣菜でも牛乳でもジュースでも、なんでも小型パッケージでアメリカの大型パッケージと値段が変わらない。
食品の値段の高さも肥満につながらない理由の一つ。
お惣菜も中身よりプラケースの方がでかいとか、過剰包装文化の疑問はいろいろあれど、過剰包装によって品ものが大きく見え、かさばることによって買いすぎず、食べ過ぎない習慣につながっているのだ。

そんなわけで最近私は肯定的にとらえている日本の食品に対する過剰包装。
だからといって、アメリカの食品に過剰包装文化を持ち込めば肥満は減るか?といえば、背景の文化が違うので単純にはそうはいかないだろう。
過剰包装にすると商品は売れなくなる。アメリカ人は不器用で面倒くさがりなので、小さな小袋に入ったものをちまちま開けて食べるのを好まない。
あくまで、日本人には効果的な文化であるといえよう。




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彼女はなにを思ったか

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 27.2013 思うこと
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前回の続き。

数ヶ月前に、シカゴでこんな事件があった。
シカゴの高級ショッピング通りで白昼、郊外からやってきた初老の女性が強盗に襲われ、身につけていた時計や指輪やハンドバッグを奪われたというのだ。
被害合計金額は、100,000ドルを超える。

白昼に「シカゴで最も安全なはずの場所」と言われる通りで堂々と強盗事件が起こったことも世間をビックリさせたが、被害金額が高いのにも驚いた。日本円で一千万円を超える高級腕時計や指輪が狙われた、ということにも。
その女性は、事件が起こってすぐに近くのニーマンマーカス(高級デパート)に駆け込み、警備員に事件を告げ、警察が駆けつけた。

その女性によると、ニーマンマーカスの近くを歩いていたら、若い(10〜20代)の黒人男性5〜6人に囲まれ、「つけているジュエリーをはずしてよこせ」と脅された。彼女が腕時計や指輪をはずすと、ハンドバッグと一緒に持って行って逃げたという。犯人のうち数人は、「ブレードヘア」だったらしい。
このニュースを聞いたとき、気の毒には思ったが、なんでそんなに高級なジュエリーを身につけて歩いているんだろう?と疑問に感じて違和感を覚えた。
本当にお金持ちのご婦人方は、人の目につくような高価ジュエリーを身に着けて街を一人で歩いたりなどしない。そういうときは男性同伴とするのも常識だし、一人で出歩くときは偽物(安物)ジュエリーを着けたりするのも普通だし、パーティに出席するさいにダイヤモンドを沢山身につけるときは車で移動が当たり前。
だから被害にあった女性は、お金持ちなのにお金持ちの常識を知らない人なのか、不思議だった。

アメリカには、日本にはない常識が沢山ある。
財布を尻のポケットに入れない。地下鉄でショルダーバッグは肩にかけるだけじゃなく、斜めがけにする。さらに常に手で押さえる。一人で乗る時に(特に女性)iPodを聞かない(イヤホンをつけない)。レストランやバーにて、バッグを椅子の背にかけない。などなど。
日本の電車内では、バッグのフタが開いたまま平気で乗っている女性たちも多いけれど、それはアメリカの都市では考えられないことで、「狙ってください」と宣伝しているようなもの。
外国人ならば、アメリカに来たら身につけないといけない常識であり、アメリカ人ならば、自然と学んで身に付く常識である。
100,000ドル以上の被害にあったという女性は、それらのジュエリーを身に着けて「一人」で「電車」でダウンタウンにやってきた、というから信じられない。

さて、さらに驚いたのは翌日である。
なんとその女性の事件は、「虚偽」であったことが発覚。そう、女性のでっちあげ事件。
一体なんのために。。。???

女性がそんなに高価なジュエリーを身に着けていたこともウソ。
黒人男性たちに囲まれたこともウソ。
通りには防犯カメラが設置されており、どのカメラにも事件の痕跡は残されていなかったのだ。

「事件」当初からこの女性の氏名は発表されなかったのだが(女性の希望により)、この女性が白人だったら「別の事件」に発展するなあ、と危惧した。そう、人種差別事件へと。
女性の年齢も含め、また女性への危険性も考慮し、新聞やニュースは一切女性の身元を明らかにはしなかった。
だが、黒人ネットニュースがすっぱ抜いた。でっち上げ事件を作ったのは「白人女性」だと。

この白人女性の目的は一体なんだったのであろうか?
ありもしない(あるいは実際家にはあるのかもしれない)ジュエリーに保険をかけ、強盗に見せかけた保険金狙いだったのか? 
あるいは、黒人たちを貶めるための虚偽事件だったのか?

前者の場合、犯人像を「若い黒人男性グループ」にしたのは、「いかにもありそう」だからであろう。警察が信じ込みやすいからであろう。前回の記事で書いた「iPhone泥棒」にしたって、実際に路上強盗事件に関わっているのは残念ながら、黒人の若者がほとんどなのだ。世間は連日報道される情報によって、「イメージ」というのを植え付けられる。映画のイメージなら否定もできるが、ニュースのイメージは事実である。
目的が後者の場合、彼女の話を聞いてみたいものだ。単なる人種差別主義者で黒人を嫌悪しているのなら、それはそれでこの事件は大問題だ。
でもあるいは、そうでないのかもしれない。彼女が実際に怖い目にあったことがあるとか、トラウマを持っていて精神的に脅かされていたとか。それが虚偽事件に発展したのならば、彼女はカウンセリングが必要であろう。

私も学生時代に一度、シカゴの地下鉄の中でスリにあったことがある。
背の高い男性と一緒にいたのだが、小さなポーチを肩からかけただけで、コートの上から出していた。電車に乗る時に私だけが5〜6人の黒人男性グループに囲まれ、電車に乗った時はポーチのジッパーが開いていて財布だけが抜き取られていた。一瞬のできごとである。
その後警察に連絡したら、女性警官から「ポーチはコートの中に」と注意された。コートの内側にショルダーバッグやポーチをかけるなんて(その分コートは膨らむ)、絶対に日本ではしない「ファッション」だ(笑)。着心地も悪いし。だが、当時のシカゴは今とは比較にならぬほど治安が悪かったせいもあり、確かに女性たちは一回り大きなコートの内側にバッグをかけている人が多かった。シカゴの冬は非常に寒いおかげで、長いコートが防寒だけでなく防犯の意味も果たしている。日本にいたときには無い発想であった。
(現在は当時に比べると治安が随分と改善されたので、こういう「ファッション」する人少なくなったけど。当時は夜間女性一人で地下鉄に乗れない時代だった)。

黒人たちは、自分たちが「悪者」のイメージにされることを嫌うが、実際に日常生活の中で「黒人の悪者」に被害にあったという「被黒人」たちは多いのだ。これは仕方のない事実である、「悪者」ではない黒人たちにとっては本当にいい迷惑だろうけれど。
幸い私はスリ被害だけだったが、その時に銃を突きつけられていたとか、殴られて怪我を負ったとかだったら、トラウマになっていたかもしれない。実際に、トラウマになる被害者たちは多いのだ。近所に住む男性(白人)は先日、夜遅く自転車に乗っていたら黒人男性にバットのようなもので殴られ、気づいたら路上に倒れていたという。盗られたものは、マウンテンバイクとiPad。骨折で全治数か月。彼は元警官。ガッシリした体格の男性でも、このような被害にあう。
義理弟はバスから降りた途端強盗に囲まれ、iPodとヘッドフォンを盗まれた上に顔面殴られた。黒人男性でも、黒人男性から狙われる。
毎日毎日多くの市民は、たかだか数百ドルの物品のために身体に大きな傷を負う。

「特定の人種のマイナスイメージを持つのはよくない」とされながらも、持たずにはいられない事件が毎日報道されるのがシカゴの社会だし、加害者の数だけ被害者がいるのだ。
「虚偽」は決してよくないことだが、そこまで行き着いた老年女性の心理に、一体なにが隠されているのか。究明されるべきところは、その点だと思うのだが。
人種差別事件になるとその女性に危害が及ぶ可能性もあり、彼女の身元は隠されているけれど、報道されるべきアメリカの心理の闇はそういうところにあるのだ。
そして、「人種差別事件」だと噛み付く黒人新聞が本当に報道しなくてはいけない点も、その女性の虚偽の真実の理由であろう。
後味の悪い事件であった。




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iPhone泥棒

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 24.2013 思うこと
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夏は毎年犯罪率が上がる。これは統計的に証明されている。
シカゴの冬は厳寒すぎて、強盗も空き巣もギャング間の抗争も、寒いとやる気が出ないのであろうか。5月あたりから気温が上がると、犯罪グラフも気温と共に上昇する。
銃撃戦ニュースも毎日のことだが(残念なことに)、この夏流行って(?)いるのは、街中やビーチでのiPhone強盗。

犯人たちは決まって14〜19歳くらいの10代。
夏のダウンタウン周辺は、ツーリストたちで賑わう。シカゴに不慣れと見える彼らを狙った犯罪。
先週末だけで何件も起こり、全員犯人はすぐに捕まった。
すぐに捕まるところからして、彼らは犯罪に手慣れていないし、軽い気持ちで行なっているのだろう。犯罪とさえ思っていないかもしれない。
彼らのコミュニティのどこかで、「iPhone盗めば金になる」とかでも言われているのだろうか?
人の携帯盗んでも、すぐにアカウントをキャンセルするから使えないんですけどね。。。。 iPhoneは正規にアップル専門の業者に売れば、中古でも250ドルくらいの金額にはなるが(最近私も古いのを売った)、盗難届が出されたシリアルナンバーは、売ろうとした時点で警察に連絡が行って足がつく。
あるいはブラックマーケットで30ドルくらいになるのだろうか?10代にとっては小金稼ぎか。

ミシガン州からシカゴを訪れていた初老の婦人は、シカゴの目抜き通り(ショッピングエリア)を歩いていて、ポケットからiPhoneが抜かれるのに気づき、すかさずその腕をつかんだ。するとあっという間に7〜8人の黒人少年に囲まれて「取った」「取ってない」の問答になった。だが、後ろから一部始終を見ていた目撃者も沢山歩いているわけだ。目撃者がポリスに電話。2分後に警察官がやってきて、すぐ逮捕。幼稚である。
ポリスが来るまで犯人の腕を離さなかったご婦人、ご立派。でも、時にはそれはすごく危険だけど。

もう一件は、男女の黒人グループがオハイオ州からやってきた3人の20代白人女性ツーリストがサイクリングしている最中に襲いかかり、iPhoneをゲットし逃走。すぐに一緒にいた他の女性が警察に電話。20分後、事件現場からそんなに離れていないところをウロウロしていた19歳の少年を逮捕。
19歳の少年だけは顔写真が新聞に載っていたが、個性あるヘアースタイルで目立ちますから(笑)。 襲われた女性が「あの少年だ!」って確信持つにも苦労しなかったとか。
この少年、速攻収監。保釈金に6万ドルの値がついた。6万ドルの保釈金をすぐに払ってくれるような家庭で育ったならば、iPhone強盗なんてしなかったであろうが、たかが携帯一つで監獄生活とは痛い人生。

あとは3人の黒人少女グループが、14歳の白人少女2組を襲った。
14歳の少女たちが自宅の近所(湖沿いの高級コンドミニアム街)を歩いていたら、黒人少女3人組に「お母さんに電話しないといけないんだけど、携帯落としちゃったから貸して」と頼まれたらしい。最初は、「人に携帯貸すとプライバシーが見られる恐れがあるからイヤだな、と思ったけれど、困っている人は助けなければいけない、と思って」一人に貸した。そしたらその子は、借りたiPhoneを持って歩いて行ってしまったと。「返して」と頼むと「アンタのiPhoneなんか持っていない」と暴言を吐かれ、他の2人にもう一人のiPhoneまで暴力で奪われた。
近くを歩きかかった男性に、「あの子たちに携帯を取られた。警察に電話したいが電話がない」と言うと、男性は自分の携帯を差し出し「すぐポリスに電話して!」と言って、3人の犯人を追いかけて捕まえ、すぐに警察も到着して逮捕。
あのですね。。。成人男性が走って追いかければ、女の子が逃げても無理ですから。。。。 これも幼稚すぎる。

彼ら、あまりに簡単に考えている。人の物を盗むことを。
そんなに甘いことではない。未成年でも裁判が待っているし、しっかり前科が付く。
改めて言いますけど、人のiPhone盗んでも使えませんから(笑)。本当に子供なんだな。

犯人が幼稚なおかげですぐに捕まったからよかったけれど、なんだか悲しいね。
被害にあった白人14歳の女の子たちは、事件があるまでは黒人に対して偏見を持っていなかった(あるいは持たないようにしていた)と思うのだ。「人に貸すのはイヤだな」と思うのは誰でもそうだろう。でも彼女は善意で貸したのだ。
だけどこういう事件の被害にあうと、今後黒人が寄って来てただけで怪しまずにはいられなくなるだろう。親しげに話しかけられても、なにか裏があるんじゃないか、と。自己防衛のためには仕方ない。こういうところから偏見が始まる、と言ったって、偏見の種を作っているのはこういうおバカで幼稚な10代黒人少年少女たちなのだから。

高級コンドミニアム街に住む14歳の少女たちは世間をよく知らなかった、とも言える。
ミシガンの田舎からやってきた女性も、大都市の治安に不慣れだった、とも言える。シカゴに到着してホテルにチェックイン後すぐだったらしいから、ミシガン気分をすぐに切り替えていなかったかもしれない。
オハイオ州からのツーリスト女性たちは、レンタルバイクを乗り回していたので、いかにも「ツーリスト風情」を醸し出していて、いいカモだったのかもしれない。
被害者全員にも「もうちょっと注意した方がいい」点があるが、怪我もなかったし犯人もすぐに捕まったのは不幸中の幸い。
今回最も高い授業料を払ったのは、幼稚な犯罪を犯した10代の子たちらだ。友達同士で「計画」して、彼らの住む貧困地域から、シカゴの高級ショッピングストリートにやって来る。
街角にはどこでも防犯カメラが設置されていて、そこで上手く逃走しても記録は残っていますから。。。逃げ通せないのに。

でも、そんな簡単な常識も、彼らは新聞なんて読まないから分からないのだよね。
悲しい事実の悪循環。
そんでまた今週末も、同じように同じような場所で、10代のiPhone泥棒が出現するのだろう。

あー、そういえば、iPhoneじゃないけれど、先日別の黒人少女2人組が、ショッピングモールで万引きし、警備員に追いかけられて、彼に催涙スプレーをかけて御用となった事件もあったな。
「万引きで捕まる」だけだったら、保護者に連絡されて、裁判だけで済んだと思う。だけど、催涙スプレーかけちゃったから傷害事件になって牢獄へ。これも保釈金が高かった。こうなると顔写真も名前も新聞に載っちゃうし。

10代のうちは、「もっと楽しく充実した夏休みにしよう!」なんて気だけが先にいく。だけど映画に出て来るような夏を夢の通りに手にする10代なんてほとんどいないのだよ。所詮子供なんだし、お金なんて自由に手に入らないんだし使えないんだし仕方ない。
小さなもの盗んで監獄行きだなんて、割に合わないじゃないか。。。。10代諸君!

〜〜次回に続く〜〜



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整理・処分の仕方(6)卒業アルバム編

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 20.2013 思うこと
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整理・処分シリーズ最終は、卒業アルバム編。

なんで卒業アルバムかというと、私と同じ年代や、うんと年上の人まで、「卒業アルバムを取ってある」なんて言うのをときどき聞いて、「へえーーーっっっ!!!!」とビックリしたことが何度もあるからだ。
卒業してから◯十年経っているのに。。。物持ちいい人が多いんだな。

大学の卒業アルバムは、希望者だけが予約して購入という形だったと思う。おそらく買う人って半分もいないんじゃないかな。
30過ぎてオーストラリアに移住することになったときの荷物大整理で、小中高の卒業アルバムを合わせて久しぶりに手にした。
最初の感想。。。。。。「重いっ!!!!」

卒業アルバムって、なんであんなにガッシリしていて重いんでしょう。3冊重なるとかなりだ。しかもかさばる。
私だって少しの間考えた。「卒業アルバムって、取っておく物なの???」
だが、他に「取っておきたい」大事な物が沢山あるわけで。私にとっては、旅は人生の糧なので、旅先の思い出が詰まったものや写真は捨てられない。「なにがより大事か?」になると、卒業アルバムは優先順位からすると下位だったわけだ。

衣類のように「3〜4年着ていないものは捨てる」のルールからいけば、卒業アルバムは卒業後すぐに何度か開いたが、それ以来一度も見てもいない。3〜4年どころか10年に一度も開かないわけだ。それとも、これから開く機会があるのだろうか?? 一体どういうときに? 持っていないと困ることでも出て来るのだろうか? うーん。。それはなさそうだ。。。。
小中高それぞれに楽しい思い出はあるが、楽しい思い出があの「卒業アルバム」に詰まっているわけではない。友人らと一緒の写真は自分のアルバムにあるわけで。
ということで、処分する時に全く迷いはなかった。

大分前だが、「高校卒業後30年の同窓会に出席する」という年上の友人が言った。彼は高校まで地方で大学から東京に来ているため、過去30年間一度もほとんどの同級生に会っていないらしい。「だから卒業アルバムを見て、皆の顔と名前を予習しなくちゃ」と。
なるほど。。。卒業アルバムとは、同窓会の「予習」のために利用するのか。同窓会で「ここはどこ?アナタは誰?」状態にならないためには、それは必要そうだ。
だが海外永住組の私にとって、今後も同窓会出席のチャンスなどなさそうだし、やっぱりそういう利用方法もあり得なさそうだった。

卒業証書なるものも、大分前に捨ててしまっていた。あの、「筒」に入った証書。
最終学歴の証書だって、人生で必要になることなんてない。大学の卒業証明が必要だったときって、私の場合はアメリカの大学に入学するときだけだった。そんなものは、大学の窓口に行って学籍番号を言って手数料払えば発行してもらえる。卒業後何年経っても、卒業生ならばどこの学校でも発行してくれるはずだ。
開業医が、卒業証書を額に入れてクリニックに飾っている場合もあるが、そのように飾る必要性のある人の方が少ないと思う。

もちろん、「卒業アルバムなんて捨ててしまった方がいい」と皆に言っているのではない。
大事なものは人それぞれだろう。
ただ、卒業後10〜15年以上経つのに「必要性を感じていない」人。しかも、「捨てたいんだけど、これって捨てていいものなのか?」と迷っている人がいたら、私の処分経験談を参考にしてほしい。
捨てたけれど、全く後悔していません。困ることもありません。

学校時代の大切な思い出や懐かしい友人のことは、アルバムが無くとも思い出せる。

ふと思う。卒業アルバムも、あんなに仰々しくしっかりしたものじゃなくて、CD-ROM化されたものだったら、ひょっとしたら他のCDと共に取っておいた可能性もあるな、と。
私の時代にデジタル化なんて考えられなかったが、今の時代ではそういう高校もあるらしい。そうだよねー。
薄っぺらいCD1枚なら邪魔にならないし、海外に引っ越す人だって簡単に持って行ける。画像もいいものなら、見るのも楽しいだろう。私の時代の卒業アルバム写真なんて、とてもクオリティが高いものとはいえない。当時見たって、そう思ったくらいだったから。
今では、卒業アルバム処分する人も、自分でデジタル化してから処分する人もいるらしい。
私が処分したときは、そういう発想すらなかったが(笑)


私の場合、「◯◯に住みたい」「今度は◯◯に住みたい」と海を超えて居住場所がくるくる変わった人生なので、物を定期的に処分して身を軽くする必要性があった。
荷物が多いと、人は動くのがおっくうになるものなのだ。
持ち物が軽いと動きやすいから動くのか? 動きたいから軽くするのか? どっちかといえば、「動きたいから軽くする」である。

だから、農耕民族系定住型ならば、別に物を処分する必要性も高くないのであろう。
若いからパワーがあって動き、年を取ると動けなくなる、っていうものではない。これは人間のタイプ。
子供の頃から定住型は定住型だし、移動変貌型は一生そのままだ。
ただ、物の整理や処分というのには体力がある程度いる。物が溜まっていれば溜まっているほど。だから、少しずつ見直して、定期的に処分するのは大切なことかと。。。定住型にとっても。

知人に、「物が多いから引っ越したくても引っ越せない」って何十年も言い続けている人がいる。
確かに物が少なくなれば、身軽に都心のマンションにでも暮らせるのであろうが、引っ越せないのは物のせいではないとも思う。物を捨てられない、というのは、物に囲まれてないと不安、というのもある。自分の趣味の衣類や書籍を処分する作業は、私が考えて行なって来たことより、ずっと大変な作業なのだろう。体力的に、ではなく、精神的に。
そういう人にとっては、無理しなくてもいいんじゃないかなあ、と思う。だって、「処分する」ことで、余計にストレスがたまっては意味がないもの。
そういう人は、「思い切って」処分したあとに、絶対に「後悔」が待ち受けているから。「あー、あれ捨てるんじゃなかった」とか。
無理なことは「スッキリ!」どころか「ガックリ。。。」になるので、ほどほどに〜。





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