料理

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 06.2017 日々あれこれ
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私はもう一つ料理ブログ、アメリカ・多国籍食堂もやらせていただいている。
料理ブログといっても手の込んだ料理ではないし、きちーんと分量を細かく記載したレシピブログでもないのだけれど。

料理ブログを始めたのは、ちょうどその前に仕事で忙しい時期が長い間続き、料理どころかきちんと食事をする時間が取れなかったことがきっかけ。出前のピザを食べながら仕事をするのはまだマシな方だ。翌朝、頼んだピザの存在を忘れて、手つかずのピザの箱をテーブルの上で見た時、「ああ〜!!こんなんじゃダメだー。料理してえ〜〜!!」と心からマジで思った。 一段落したら思いっきり料理するぞー!と心に決め、その日を楽しみに楽しみにして大仕事を終えた。
ブログを作れば、ある程度更新しないといけないから、言い訳せずに作ることになるだろう、というのが当初の目論見。

ブログを始めたからには「3年はとりあえず続けよう」と決めていた。更新するときとしないときと差が激しいものの、なんだかんだと、すでに4年半が経つ。
何かに集中するとダーーーッッッと続け、しばらくすると飽きてパタッとやめる。。。。という私のものごとのサイクルからすると、ずーっと続くことはないにしても、まだもう少し続きそうだ。。。それどころか、作れば作るほど作りたいものが出てくるので、まだまだ当分終わりそうにない。


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私の人生で、料理の最大の源は三つある。
まずはもちろん、母の手作り料理。母は料理に手を抜くことはなく、よくも毎日、家族のためにいろんな料理をたくさん作ってくれたものだ。冷凍食品やコンビニ弁当など加工食品を買うことに今でも抵抗があるのは、母のおかげ。

外食三昧をしていた若い頃の経験も大きい。あちこちの店に連れていってくれた知人、友人、恋人たちに感謝。私が食べるのが好きだから、付き合う人も同じく食に貪欲さんが多かった。食事というのは素材だけが重要なのではなく、会話も含むシチュエーションが味に大きな役割を果たすことを体感できたのも彼らのおかげ。

そして三つ目は、世界中の旅先で出会った料理の数々。
旅が好き。文化が好き。料理は基本的な文化財産であり、偉大な芸術。
どこに行っても1日最低三食。2品ずつ食べたとしても一日6品。1ケ月一つの国に滞在すれば、180品くらい食べるわけだ。同じ種類でも店や地域によって味が変わる。美味しくても美味しくなくても、口に合っても合わなくても、旅先で口にした料理の数々は人生の中で最大級の財産。
どこの国でも市場に行くのが好きだが、見慣れない異国の市場の品々は、「食べたい」というよりは「これを使って料理してみたい」という気にさせてくれる。
だが旅の間は、沢山の物を胃袋に詰め込んで味を覚えても、自分で調理する機会が全くと言っていいほどない。


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私が作る料理は、大きく二つに分かれる。
「工作」としての料理。素材の組み合わせをあれこれ考えるのは楽しいし、気分転換にもなる創作活動。しかも、どんなに作っても作品はたまらず、作っては消えていくので置き場にも困らない。非常にアイディアル。

もう一つは、今までに食してきた美味しい料理の数々の再現。
ブログ名を「多国籍食堂」にしたのは、旅の先々などで食べてきた料理を、記憶に頼りながら作ろうと思ったから。しかもアメリカの大都市にはエスニックタウンが沢山あり、世界中の様々なスパイスや野菜も手に入る。実現可能なのだ。
ただ「美味しい、美味しい」と現地で食べていた料理の数々も、実際に作ってみると改めて学ぶことも多い。その国の気候や伝統、宗教や文化や歴史まで、料理を通じて知ることも多々ある。単純そうに見えていた料理の、実は複雑なスパイスの組み合わせ。原料を知るとますますその料理が愛しくなる。
東南アジアで欠かせない野菜が、中南米でも同じように重要な役割を果たしていたりする。地球上でこんなに遠く離れたところでの接点の不思議。全く同じ野菜でも、使用されるスパイスの違いで、アジアの香になったりカリブの香になったりする。
その味の一つ一つで、旅の記憶がはっきりと蘇ってくる。写真を見て思い出すのよりも時に強烈だったり。
何しろ、旅している間って、忘れていても毎日結構しっかりと食べているのである、何かしらを。体に染み込んだその記憶。

人間にとって「食べること」は排泄行為と同じ。食べなければ生きていけないから食べる。
一方「料理すること」は、かなり余計で贅沢で無駄な行動ともいえよう。料理は読書や芝居や作曲や執筆みたいに、生活する上で最低限のことではない。人間って七面倒くさく、そんな「無駄なこと」で狂喜したり感動したり落胆したりしながら生きていく生き物なんだから、それは大いに楽しんだ方がいい。
料理は偉大な文化。ビバ!文化!

料理ブログを始めて4年半だが、先日数えたら、載せた料理の数は今の所400ちょっと。全く同じ料理は載せていない。
結構載せたつもりでも、今まで食べてきたものの数には全然匹敵しない。「食べてきた」ということは、誰かに作ってもらったもので生きてきた、ということ。家族や知人、レストランや食堂の顔の知らない料理人。 圧倒的に、自分で作るよりも誰かが作ったものを食べてきたことの方が多いということに気づく。

テレビ番組SMAP×SMAPが20年9ケ月で終了したと聞いたとき、ではあのビストロスマップで作った回数は幾つになるんだろう?と思ってしまった。
軽く計算しても、一人800〜1000ディッシュを番組で作ってるんだよね。しかもかなり凝ったものを。
プロのコーディネーターがいて打ち合わせがあって、高級素材が用意されて、かなり条件のいい調理環境とはいえ、プロ並みの料理を毎週自分の腕で作っていたら上達するのが当たり前。彼らは相当の腕前のはず。仕事とはいえ、800や1000の全く違う、世間にお披露目できるディッシュを作るってすごいこと。
あんなに凝った料理は無理としても、継続は力なりを信じて、800とか1000を目指して料理ブログも頑張ろう、と思うのであった。SMAPのおかげで目が覚めましたよ(笑) ちゃんと作らないとなあ。


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そうそう。料理ブログを始めてから一つ克服したことがある。
私は料理は好きだし得意な方でもあったが、一切デザート系が苦手であった。というか、基本的に作ったことがない。
お菓子というのは軽量をしっかりぴったししないと膨らむものが膨らまなかったり、固まるものが固まらなかったりする化学の世界。「適量〜」で済む料理とわけが違う。そこが性に合わないのだった。
だけど、スイーツは食べるのは大好き。だったらやっぱり自分で作らないとなあ、と。それもアメリカ在住というのが背を押した。なぜなら、アメリカのスイーツは甘すぎて口に合わず、美味しいものが身近にない!日本やヨーロッパとは勝手が違う。恵まれていない環境というのは、時に創造の神となる。
「性に合わなかった」お菓子作りをするようになると、性格が逆に変わってくる(笑)。それまでいろいろなことを「待てなかった」人だったけれど、忍耐強くなった(笑)。目に見えるように物事が変わっていくのを確かめたい人だったけれど、「放っておいて大丈夫」と思えるようになった。ケミストリーを信じられるようになった。

こちらのブログが滞りがちになってしまっておりますが、こちらもまだまだ続けます。書きたいことはいっぱいあるのです!!
「アメリカ・多国籍食堂」共々、今後ともどうぞ宜しく。
最近のメニューは、カーポウ(台湾風バーガー)目玉焼き入りハッシュブラウン卵バインミーチェリートマトのブレッドスープ鶏肉のフォーなどなど!!



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オリンピックが終わり、夏も終盤

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 24.2016 日々あれこれ
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今年のシカゴの夏は、平均して毎日暑かった。日中どんなに気温が高くとも、夜はジャケットが必要なんていうのがシカゴの夏なのだが、毎週毎週暑かった。

オリンピックの閉会式の日、夏が始まって以来初めて、湿気のないさわやかな青空が広がった。
オリンピックとともに、夏も去っていく。

NBCで観ている限り、日本勢がどの種目に出てどのように頑張っているのかは全く見えてこない。
当然ながらアメリカの選手に焦点を当ててばかりだし、半端ないメダルの嵐の国なので、それを追っているだけで放映はギリギリ精一杯。
たまにネットで日本をチェックすると、日本も今までにない勢いでメダル獲得しているじゃないか。それをテレビで見れないのは残念だった。と言っても、今やどの競技もネットで配信されている。
だからAppleTVで日本勢のスポーツを観戦したのだが、一切アナウンスもコメントも入っていない競技を淡々と見るのは迫力に欠け、観戦の盛り上がりにはコメンテーターの言葉や観客の応援の音声効果などがいかに大切なのかがよーくわかった。

スポーツ大国アメリカは、毎回メダルの数が飛び抜けている。
今回は121個。金メダルだけでも46。これだけメダル獲得が珍しくなくなる国というのは、当然メダル一つの重さが他国とは比較にならないくらい軽くなる。
金メダルを取ればレポーターは駆け寄り讃えるが、マイケル・フェルプスのような選手がいるので、「23個目!」「24個目!」なんていう放映の後には、1個や2個の金メダルは大したことのない印象になってしまう。
ブライアン・マーフィという21歳の競泳選手も初五輪で金メダル3つも取ったのだが、スポットライトはフェルプスに持って行かれた。1回のオリンピックで3つの金を取るということは、本当にすごいことなのだ。他の国なら名誉国民になってもおかしくない。アメリカのスポーツの層の厚さのすごさは、この程度だと人は大して注目もしないという点からもわかる。
ブライアン・マーフィは、後2、3回はオリンピックに出て金を取り続けないと、国民のヒーローにはなりえない。

オリンピックメダル選手の扱いについては日本とは対照的で、日本はたった一つの金メダルが国民の記憶に残る重さを持っており、メダルの色が金でなくてもしばらくちやほやされ続け、運が良ければスポーツ界以外で売れっ子になる。
アメリカの9割以上のメダリストたちは、地元や出身クラブのヒーローになっても、アメリカ人たちの記憶に残ることもない。ただ、メダルの重さは121分の1であっても、選手個人にしてみれば重いことには変わりなく、意味も大きい。メダリストでもちやほやされないだけに、次のシーズンへの練習にも集中して打ち込めるだろうし、それはアスリートにとっては健康的な環境であるともいえよう。
アメリカ人は放っておいても必ず誰かしらがメダルを取ってくれるので、一人の選手への偏ったメダルの期待もメディアはしない。その点は、日本の選手はあまりに期待されすぎて、かなり気の毒だ。
だいたい、オリンピック代表枠に入るのが精一杯できた選手と、なんとかしてメダル獲得が目的のレベルの選手と、オリンピックで金を目指している選手たちは大きく3つに分かれていて、どの競技もかなり開きがあり、ギリギリ選手がメダルを取ることなどまずないわけだ。
層の厚いアメリカはその現実にとても冷静であるから、メダル候補でない実力の選手に「16歳の初オリンピック。メダル獲得なるか?」なんて酷なレポートはしたりしない。

男子体操では、アメリカばっかり放映していて、日本が団体で金を取ったのは後で知った。ライブで見たかった。
それから印象的なのは、陸上のリレーで日本がジャマイカについで銀メダルを取ったこと。だいたい、日本が決勝まで残ったのも知らなかったから、これも後で知って驚いた。
コメンテーターも「な、な、なんと、驚くことに、日本が銀メダルー!!」って叫んでいた。これこそ、世界の誰もが予想だにしていなかった結果だろう。
アメリカ人の友達から、「一体日本どうしたの?」とからかわれるように聞かれた。陸上国家アメリカの人たちに対して、「もともと日本のお家芸だよ、知らなかった?」とは冗談でも言えず、「うーん、どうしたんだろうねえ。。。わからん」としか答えられない。
しかしまぐれで銀メダルは取れないので、日本も素材と環境が整えば、陸上で活躍できる事も不可能ではないのだと思いたい(ウサイン・ボルトをコーチとして金で呼ぶとか?無理だよ)

かつてルーマニアは体操女子の王国だった。それがアメリカに変わったのは、周知のようにカーロイ・ベーラとマルタ夫妻コーチのおかげだ。体操界を変えたナディア・コマネチのコーチがアメリカに亡命し、今はアメリカの選手を育てている。
素材があっても、良き指導者がいなければ選手は育たないことのいい例。アメリカはその点、世界各国から才能がやってくる寄せ集めの国だ。オリンピックのメダルの数は、アメリカとはどういう国かということをよく物語っている。
今回の他国の金メダリストたちも、将来アメリカにやってきてコーチ業につく人は少なからず確実にいる。自国の選手を育てたくとも自らの生活の保障を考えると、アメリカを選択せざるをえない場合も。
自分と違う国籍の選手をメダリストにし、選手の国旗を見るときに、一番「国別メダル数って意味ないなあ」って感じるのは誰よりも指導者たちだろう。
そう、ノーベル賞も同じだ。アメリカのノーベル賞受賞者って、アメリカ生まれじゃない人が多いし。
秀でた才能があればウェルカムの国。秀でた才能を育むのには最高の国。それはとてもいいことだ。生まれた国で伸ばせないことを、この国は支援してくれる。それがメダルやノーベル賞受賞数に反映されている。

日本がアメリカや中国のようにメダル国家になることはないだろうけれど、ちょうどいい位置にいるんじゃないかな。メダル数もバランスよく、注目される競技も選手も増えてきて、それが次世代につながる。まず優秀な選手が出てこなければ、優秀な指導者は生まれないってことですから。鶏と卵ですが。
「ちょうどいい位置」というのは、オリンピックで国民が適度に盛り上がれるレベルということ。ということは、刺激されて興味を持って何らかのスポーツを始める子供も増えるし、鍛えられたオリンピアンと自分の体を見比べて「これじゃいけない」と運動始める大人も増えるということだ。世界には「オリンピックなんてよその国のもの」と注目されない国々がほとんどだし、またオリンピックがあまりに力を持つと、国ぐるみのドーピング問題など、健康なはずのものが一気に不健康になる。何でも「適度」がよろしい。
日本のオリンピック放映を全く見ていないからハッキリしたことは言えないのであるが、結果のメダル数だけ見ての感想である(だからすごくずれているかもしれない。笑) 

ちなみに、オリンピックが終わって2日目ですが、121個もメダルを取ったアメリカは、すでにオリンピックのことを忘れております。
これからアメフトのシーズンなので、国内スポーツ地元贔屓が始まります。
いつまでもメダリストたちをちやほやしないアメリカのメディア、その点はとてもさっぱりしていて毎度見ていて気持ちがいい。


料理ブログ「アメリカ・多国籍食堂」もどうぞよろしく♪
最近のメニューはゴルゴンゾーラのペンネケールと葡萄のサラダオムレツカップなどなど。



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Tattoo

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 18.2016 日々あれこれ
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「刺青」というとタブーなもので、「タトゥー」というとファッショナブルなものになるのも不思議だが、最近はタトゥーと呼ばれているのでそうしよう。

アメリカと日本では刺青の文化の背景が全く違うので、アメリカでは男性も女性もかなり自由にタトゥーを入れる。かなり前からではあるが、最近は特に自由になった。
自由なアメリカにもタトゥー文化の浸透には変遷があり、最初は軍人や船員や港湾労働者、あるいはミュージシャン。。。ミュージシャンの中でもロッカーは派手に掘るけどカントリーやフォークミュージシャンはしない、というようなところもあった(今は誰でもやる)。
そしてアスリート。NBAの影響でバスケの選手は全身タトゥーでテレビ放映OKであるが、オリンピックの陸上や水泳選手で見ることはなかった。

だが今年のリオ五輪で、アメリカの水泳、アンソニー・アーヴィン選手の両腕の色あざやかなタトゥーがかなり目立っていた。
日本ではいないが、男女ともに肩とか胸、背中に一つ二つの単色タトゥーはよくいるが、両腕鮮やかは、自由なアメリカでも「ほおお、ここまで自由になったのだなあ」と思わせるものがあった。
水泳競技でタトゥーは禁止とか、オリンピックで禁止などというルールはもちろんない。が、どこかに、アメリカでも日本とは違うタトゥーへのタブー感があったのは確かだ。それは一般社会でも。
日本と違ってアメリカでは「タトゥーといえばマフィア」などという観念はないが、肉体労働者やならず者が入れるもの、またはミュージシャンみたいな自由業的な人のもの、という観念があり、ホワイトカラーが(たとえスーツでそれが隠れたとしても)胸や背中にタトゥーを入れることはまずなかった。
。。。。と考えるのは、現在30代以上の人間。
ガラッと変わるのは、タトゥーへの敷居がぐっと低くなるのは、アメリカでも現在20代の人たちの話。
特別に自由業に属してなくても、昼間スーツ着て仕事している人たちも、腕とか肩とかにタトゥーを普通に入れているのが今の20代。おそらく20年前の、「黒い髪を金髪に染める」くらいの感覚で。

ファッション感覚の変遷は見ていると面白い。
オリンピックの水泳で、両腕鮮やかタトゥーはさすがに今年は目立ったけれど、アンソニーは年齢35歳にして金メダルと取った。あの映像で「あ、入れても大丈夫なんだ」(現役の若いスイマー)、「あそこまで気合い入れてタトゥー入れて勝つなんてかっこいいな」(一般視聴者)、「タトゥーは嫌だけど金メダルという結果残すなら申し分ない」(コンサバ視聴者)と人はそれぞれに思ったことだろう。今後の水泳界でタトゥーは増えて珍しくもなくなるだろう。そして10年20年後にマイケル・フェルプスの映像を観て、「へえ、あの時代の水泳選手って、全然タトゥーが入ってなくてなんか変」とまで思うのかもしれない。
ただ個人的には、水泳選手にはあまりタトゥーを入れてほしくないと思う。オリンピックは様々な筋肉のオンパレードだが、私は特に水泳選手のしなやかな筋肉が大好きで、何も飾りがなくてもすごく美しいと思うからだ。ダビデ像に服を着せなくていいのと同じだ。
あの綺麗な肉体に模様が入ると、筋肉の盛り上がりや影が目立たなくなって残念なのである。

ところで去る4月に日本に帰国した時も、ウェイトレスの20歳くらいの女の子とかが普通に腕や首にタトゥーを入れているのを見て、「ああ、時代が違うなあ」としみじみと思った(笑) 
私が若い頃、片耳に3つも4つもピアスを開けるのを見て大人はそう言ったものだが、それと同じような感覚を味わい苦笑する。
実は高校生の時、「タトゥーを入れたいなあ」と切実に思っていた。桜吹雪や龍の刺青ではなくて(笑)、左の上腕にさくらんぼのタトゥーを。二つのさくらんぼが枝(?)で繋がっていて、葉っぱが一つ。色はさくらんぼの鮮やかな赤に、葉っぱの鮮やかな緑。デザインまで考えていたのだが。
勇気がなくてできなかったのは、世間の偏見とかでは全くなく、自分の趣味がどう変わるかに自信がなかったのだ。今はさくらんぼのデザインがいいと思っていても、大人になったらそのデザインに後悔するかもしれない、という。。。若いうちはさくらんぼが可愛いが、年取ったらアホみたいに思うんじゃないか?とか。
だがしかし、今のところ趣味が変わっていないのに驚く。左上腕に何か入れるとしたら、やっぱりさくらんぼかなあ。何でさくらんぼかというと、別に意味はなくデザイン的なもの。バナナでもメロンでもスイカでもなく、視覚的にさくらんぼは形と色がいいからだ。

人に言わせると、私は全身タトゥーがあってもおかしくないように見えるらしいが(笑)、実はない。
タトゥーはジュエリーと違って、服やその日の気分、TPOに合わせて着替えられない、というのが大きな理由。例えば、ジーンズに白いTシャツのファッションの時は、腕に鮮やかなドラゴンが泳いでいたらあったらかっこいいなあ、と思うが、時にはノースリーブの花柄ワンピースも着たいわけだ。花柄ワンピースにドラゴンは似合わないだろう。。。ってなってしまう。

私が今18歳とか20歳とかだったら、さくらんぼタトゥーは間違いなく入れていたと思う。
若い世代とファッションの時代の差を一番感じるのは、やはりタトゥー感覚にあり。
遊び方にしても、海外へ飛び出すパワーにしても、お金の使い方にしても、私の時代の方が今の若者よりも元気だったのは確かで、その中でも特に元気だった部類に入る私は、今の若者の大人しさにかえってびっくりしてしまう。が、タトゥー感覚だけは、今の若者の方がずっと自由である。

アメリカでは、かつて単色黒のタトゥーばかりだったが、最近は皆色あざやかになりまして。コンサート会場の写真の女性も、左腕に錦鯉。
日本の腕のいい彫り師とか、海外で大活躍できるだろう。たまにすっごく綺麗なタトゥーを見ると見惚れてしまう。
技術が高ければ高いほど見ごたえのある作品に仕上がるアートの世界なので、着替えのきかないファッションならばさらに、腕とセンスのいい彫り師が増えてほしい。
それと入れる側のセンスも高めないとね。身体中に数入れればいいというものではない。空間を考えないといい絵は生きない。
最後にさらに。タトゥーを入れる前に、キャンバス、すなわち自分の肉体そのものを整えないとね。汚い下地に絵を描いても汚い作品にしかならないのだから、絵の具が乗るように、自分の体の骨や筋肉の位置(若いのなら今後の発達も含め)をしっかりと掴み、絵に命を吹き込んでほしい。大胆に大きなタトゥーを入れるのならなおのこと、キャンバスも長年それに耐えられるように鍛え続けていかないと。間違っても、「自分の肉体に自信がないからタトウーで隠す」という発想は持たないようにしていただきたい。
それから、若気の至りで恋人の名前を入れちゃうとかは要注意だ。。。。アメリカ人に多いんですけど(笑) 別れて、新カノの怒りを買うこと間違いなしですから。特に女性は気をつけたほうがいい。「彼のこと一生好きだから」なんてその時は思っても、別れたら忘れて新しい目の前の彼が一番になるのが女性っていうものですから。胸に入れた元彼の名前を、「飼っていた犬の名前」と苦しい言い訳をしなくても済むように、親や子供の名前以外は入れないほうがいいでしょう。
ところで、刺青にコンサバな日本にまでタトゥー文化が浸透したとなると、「俺のこと本気で好きなら俺の名前を彫ってくれ」なんて言う男も出てくる時代なのだろう、きっと。それを愛の証だと思い込みたい若さ(愚かさ)ゆえ。そんな男がいたら、「自信がなくて独占欲が強いだけの男なんだなあ」と哀れんで離れた方がいいだろう。自信がない男ほど、別れた女性に「いつまでも忘れないでいてほしい」と願う気持ちが強くなる。

ところでアメリカのタトゥー文化だが、タトゥーの自由さの方が土台の肉体を整えることよりも先に大きく浸透しすぎてしまっているのが残念だ。
男女ともに、ぶよぶよの、ハッキリ言っておデブちゃん肉体にこれぞという数のタトゥーを入れている人が多い。タプタプした二の腕、女性の真っ白い、カーブのない足全体に。男性の、「妊娠8ヶ月?」と思わせる大きなお腹に。
気合いを入れる場所の順位が違うだろう。。。。と思ってしまうのも否めない。

リオ五輪を観ながら。。。。 どの競技も世界トップレベルの競い合いであるが、彼らの肉体が少しでも一般市民のモチベーションにつながり、「体を整えてからタトゥー入れたほうがかっこいいかもしれないな」と気付く人が一人でも増える。。。。。のだろうか??(疑問)

それから、肌の綺麗な若い女性がたくさんタトゥーを入れるのももったいないなあ、って思ってしまうのは老婆心?(笑。一つ入れると癖になってもっと入れたくなるのもタトゥーの世界。もち肌はそのままで綺麗ですから、ほどほどに。アメリカには引き算の美という感覚がないのが残念ですが、日本人はそれを忘れないでいただきたいなあ。空間の美。Less is More的な。


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春先・街の光景

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 14.2016 日々あれこれ
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もう5月も半ばだというのに。今朝の温度3℃。
最高が6℃にしかならない。。。。春はどこへ?


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霧の街

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 13.2016 日々あれこれ
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