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キリスト教原理主義者たちの猛反撃

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 29.2011 New Orleans
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ルイジアナを始めアメリカの南部一帯はバイブルベルトと呼ばれ、プロテスタント系キリスト教の中でも最も保守的な、キリスト教原理主義者の人たちが住む一帯だ。
その中で、ニューオーリンズという街だけが、フランス植民地だった影響でカトリック人口が多く、独自の文化を築き上げて来た。まさに、バイブルベルト地帯に囲まれた、異宗派地帯。

原理主義というのは、極右派である。聖書の文字一つ一つを、保守的に解釈し、それだけを信じ、保守的に生きる。
元々は、南部の田舎のプワホワイト層に多かったが、最近は勢力をぐんぐん伸ばし、人種や貧富の差関係無しに、原理主義信者は大勢居る。

この人たちは、もちろん異なる宗教など認めない。カトリックももちろん大嫌い。バチカンが後ろ盾にある歴史がそれこそ長いカトリックに比べ、原理主義などは近代にアメリカの田舎で生まれた。そんなもんがワイワイ騒いだ所でカトリックにとっては痛くも痒くもないのだが、彼らの行動は少々うざい。
原理主義者は道徳を重んじるので、酒場やストリップクラブが連なるフレンチクオーターのバーボンストリートも大嫌いだし、ゲイに関しては「地獄に行け」とののしる。
カーニバルなんていうのは不道徳極まりないことなわけで、ニューオーリンズに大きなお祭りがあるたびに、彼らはプラカードもってすごい団体でニューオーリンズに押し掛け、街のあちこちでデモしている。

スピーカーで「お前たちは地獄に行け!」「マルディグらなんてやめちまえ!」「ゲイなんて出来損ないだ」「こんな街燃やしてやる!」。。。。。と、まあ、すごい熱(?)でスピーチしまくる。
これは毎年の事なので、住民もカーニバル連中も手慣れたものだ。別に相手にしない。
ただ、大人しくしているとずーっとカーニバルのど真ん中にのさばるので、これはうざい。

だから、ハーレーに乗ったおじさんたちが出て来て、彼らの前に立ちふさがり、エンジン音をぶーぶー言わせ、立ち退かせたりする。
結構どちらも見ていて笑える。 原理主義者たちは大が100万個くらい付くくらい大真面目でやっているのだが、全くロジカルでないので可笑しいのだ。
ゲイの人たちとの言い合いを見ていても、ゲイの人たちの方がまともな事言ってるわけだし、ハーレーのおじさんの方が落ち着いているし、何とも面白い「見せ物」なのである。


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キリスト教原理主義という宗派がアメリカで異常に発展し、信者を増やして来れた背景は、アメリカの巨大な閉ざされた田舎、という物があるからだ。
何世代も何世代も同じ土地に住み続け、聖書以外の本を読まず、外の世界を客観的に見ず、海外はおろか他の街にも行かないでそこで暮らす。
そこで生まれた子供たちは、超保守的な両親に育てられ、真っ白な心の時から洗脳される。

ジーザスキャンプという有名な原理主義の子供用キャンプがあるのだが、親はそこへ子供を放り込む。子供たちはそこで一旦完全に人格を否定される。自分を否定されるというのは悲しい事だ。辛い仕打ちだ。完全に自信を失った所で、原理主義的思想を刷り込む。一旦否定された人格は、宗教という救いが無ければ取り戻せない。そこで彼らは立派な原理主義信仰者になっていくのだ。

プラカードを持ってやってくるのは、何も大人たちだけではない。ジーザスの文字が入ったTシャツを着て、まるで高校の修学旅行のようにずらずらと若い子たちが歩いている。何十代ものバスに乗って、彼らは彼らの「ミッション」のためにやってくるのである。
偏った道徳を刷り込まれて育った子供たちにとっては、そりゃあバーボンストリートなどは「地獄」のように見えるだろう。酔っぱらいは居るし、「神に認められていない」ゲイが沢山歩いてるんだもの。
「ここで私たちが何とかしなきゃ」「間違っている彼らを諭さなきゃ」。。。となるのである。大真面目に。


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夜のフレンチクオーターを撮影の為に1人で歩いていると、普通のイノセントそうな金髪の女の子と男の子に声をかけられた。声をかけられた時から、女の子のマニュアルチックなぎこちない話し方(笑顔を絶やさないのであるが、その笑顔はひきつっていて、余裕が無い)を見て、「ははーん。ミッションだな」と思った。
二人とも大学生くらいの年齢だ。とにかく誰かと話して「ジーザスは神」的メッセージを説くのが仕事なのである。滅多にジーザスフリークたちと面と向かって話す機会も無いので、私も撮影中断して立ち話をすることにした。
ところが、最初から当たり前だが会話が噛み合ない。
女の子「1人でニューオーリンズに来ているの?」
私「そうだけど」
女の子「すっごい~! それは勇敢ね! ビックリだわ」
私「勇敢? 全然そんな事無いと思うけれど。物をじっくり見る時には、1人が一番いいのよ。だからいつも1人で行動するけれど」
女の子「。。。。。。。」

そう。その女の子は「外の世界は怖い」と子供の頃から信じ込まされているタイプなので、同じアメリカと言えども1人でどこかに出かけるとか、旅して見聞を広めようとか、そんな価値観は全く無いのである。だから私の言っていることが分かっていない。

話はマルディグラのこととか、宗教の話を通じて彼女はすぐに自分の言いたい事(彼らのマニュアルに書いてある事)に話を無理矢理つなげた。
女の子「ジーザスは神だと思う?」

私「私はカトリックだけれど、彼が神だと思った事はない。我々と同じように人間だわよ」

女の子「ジーザスは神だと自分で言っているのよ。だったら彼は、そんなウソを付く為にこの世に生まれて来たの?そんな事は無いと思う。彼は聖書にウソを付く為に生まれて来たんじゃないわ。だから彼は神なのよ!」

私「神の数は人の数だけあっていいと思う。例えばチベットに行くと、チベットの人たちには彼らの神が存在する。ハッキリ言うけれど、チベット人の神は、少なくともジーザスではない。ジーザスなんて知らない人たちもこの世の中には存在するのよ。神を信じて平和を愛して暮らしているチベット人たちが、ジーザスを知らないがために不幸だと思う? 私はそうは思わない。彼らを可哀想だと思うのならば、思う人の方が不幸な人よ」

女の子「。。。。。。」

私「とにかくね。他の国や他の文化を見なきゃね。Seeing is believingだと思って」

女の子は私との会話に全然共通点を見つけられないのだが、「believing」という言葉に敏感に反応した。(Believeこそ彼女たちが好きな言葉だもんねー)

女の子「今、Seeing is believingと言ったけど、それはどういう意味で?」

私「本に書いてある事だけを信じちゃダメだと思うのよ。それはあくまで他人が書いた事だからね。自分の目で確かめる事。自分の頭で考える事。だけど気をつけなくちゃいけないのは、自分の目もウソを付く事を覚えておく事。いつも疑う事。なるべく頼れる自分の目を日々養う事」

一緒に居た男の子は女の子よりはオープンマインドで、私の言葉をちゃんと解釈して、頷いて聞いていた。「ジーザスは絶対に神だ」という点においては譲らなかったけど(苦笑)

男の子「僕はね、自分の経験の中で神を感じた事があるんだよ。だから神を信じられる」

私「それは分かるわ。私も自分の経験の中で、神を信じた事は何度もある」

すかさず女の子が反応(苦笑)
女の子「それは何? よかったらあなたの経験を話してくれない? あなたの話を聞きたいわ」

私「こういう言い方はしたくないんだけど。。。。None of your businessだと思うのよね。私の経験は私の経験。とても大切な個人的なものであり、他人と共有したいとも思わない。人と共有すべきでないと言っているのではなく、私が一生宝にしていきたい物は、道ばたで会ったばかりのストレンジャーに軽々と話すものでもない。そして私は、自分の経験を通じて自分が信じる物を、人に押し付けたり人に聞かせたりする趣味も無い。あなたにはあなたのストーリーがあり、私には私のストーリーがある。それでいいんじゃない? 悪いけれど、撮影仕事があるからこれで失礼するわ、バイ!」

そう言って手を振り私は二人から離れた。


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女の子は完全に洗脳された顔してたなあ。人の話に聞く耳持たず。だけど自分の言いたい事は押し付ける姿勢が丸見え。それじゃ立派な「ミッション」はこなせませんよ(笑)
ところが一緒に居た男の子は同じグループから来たわけなのに、私がチベットの話をすると「そこに行きたい」とか「色々旅したいんだ」とか言う。
彼も一眼レフカメラを買ったばかりで写真に興味があるらしく、熱心にそんな話を私にしたりもする(女の子が居なかったら、写真の話で盛り上がったんじゃないかと思う位)
「だけど今カメラ持ってないじゃない?」と突っ込み入れると、「雨が降っていたから濡れると思って」と。
「夜のフレンチクオーターも綺麗なんだから、カメラ離さず歩かないと」って言ったら、「明日からそうする」って。結構素直なんだわ(笑)
男の子の方は、自分の育った環境が偏っている事に気づいているのかもしれない。
原理主義者たちの中でも、ガチガチではない彼みたいな男の子が居た事が、かなり意外でもあったが、彼みたいなのは稀だろうなあ。

最期の写真は、マルディグラの翌日の灰の水曜日。カトリック大聖堂前にて。
大切な日のミサの後、出て来たカトリック信者と神父たちを罵っている原理主義者たち。
「お前らは聖書に載っていない~!!」と叫んでいる。
原理主義が生まれるずーっと昔から、キリスト教といえばカトリックだった時代から聖書は存在してるんですけどね(笑)
カトリック信者たちは最初驚き、そしてプププ。。。と苦笑していた。
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