怒濤のような日々

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 27.2011 日々あれこれ
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月曜日から始まった4日間のアテンド&通訳の仕事。
今日は最終日を向かえ、ほっとした現在。

無事に終わったから言えることだが、始まる前はギリギリスケジュールの中でどうなることやら、と思っていた。
思っていたが、「なんとかなるだろう」と楽観的に構えていた。
「なんとかしなきゃ」いけないわけであるが、皆が集まれば何とかなるのである(経験上)。

超夜型の私が、毎朝6時に起床し、日本から送られて来るアップデートスケジュールをチェック。
毎日毎日スケジュールの変更があるので、それをプリントアウトし、行き場所を調べ、グーグルマップで場所の確認をし、8時頃ホテルにピックアップに行く。
ミーティングの時間は無いので、毎朝車の中で私が運転しながら打ち合わせ。
視察先の訪問に、インタビューのアポが中に入り、また遠い遠い郊外まで行ったりと、飲むヒマも食べるヒマも無い移動と人人人。。。の連続。

ストレスフルなスケジュールであるが、本当に助かったのは、日本から来たスタッフたちが皆気持ちのいい人たちだったこと。
私はとてもやりやすかったし、初日からとても打ち解け合い、まるで私もずっと一緒にチームを組んでいる仲間のようにおつきあいさせていただいた。
大変な仕事ではあったけれど、それ以上にものすごく楽しんだ。

仕事は基本的に楽しむこと。常に思っていることである。
楽しくやれば、絶対に結果もついてくるのだ。
今回は全てに実りが多く、スタッフたちも大満足で帰っていった。
1日1日が終わった後に、彼らの笑顔を見ると嬉しかった。いい仕事が出来た日の最後は、本当に皆いい顔をする。


執筆の仕事が大変な時期なのに、何故この仕事をあえて入れたかというのは、人と会いたかったというのがある。
日本人と話す事は私の日常に無いので、「面白そうだ」「気分転換になる」と思ったのだ。

それから、写真や執筆というのは、とても孤独な職業。
自分と向き合う自分の時間で成立する。
仕事で他のフォトグラファーと会うことも話すこともあるけれど、写真家というのは皆個人主義で、同じような人間なのだ。つるむことは無い。
だから余計に、「チームワーク」で働いている人間たちを見てみたかった。

アメリカの会社人間には、日本人のように「会社仲間」という意識は無い。
日本企業に勤める日本人というのは本当に特殊で、一つの会社にずーっと長く居るからであろうが、仲間意識も強いし、その会社の特徴というのが人間一人一人のキャラクターにもなっていく。
今回も彼らと接して、それを感じた。そういう物が私には全く無いので、私に無い物を沢山見させてもらった。

私のような「個」が強すぎる人間には、彼らのような「チーム」でずっと働くことはやっぱり出来ない。
出来ないのが分かっているから企業に入る選択をしなかったのだ。
「中」に入ることは出来ないけれど、「外部者」として彼らと短期間接するのであればそれは本当に楽しい。
楽しいけれど、やっぱりずーっと彼らのように「チーム」で物を作っていくことは、私には無理だろうなあ、と感じた。
私はやっぱり1人で物を作っていく。
写真にしても執筆にしても、作り上げるまではチームではなくて1人なのだ。共同作業ではない。
それを本にするとか、作品にするとかで人の手が加わることがあっても、私が作り上げる物は私1人の物で、チームで企画を立てる物ではない。

チームで一つの物を作り上げていく作業は、それで本当に楽しいだろうな、とも見ていて思った。
私に無い物を彼らの一人一人は持っていて、それに触れたことも嬉しかった。
一人一人の個性が、人間の組み合わせによってよりよい方向に発揮する。組み合わせによってはそれは上手く働かない。
「よいチーム」というのは、その組み合わせがとても上手く行っている人間関係だ。
今回のスタッフたちは、本当にその良い例だった。

個人主義の私には、全く無い世界である。
個で生きるタイプは、個でいいと思っているのであるが、ああいう家族のように仕事をしているチームを見ると、ちょっぴり羨ましくも感じるのであった(私には無理だけど)。

長い長い4日間。
働いた時間は4日分以上である。
充実してた。

さ、また明日から執筆頑張らなきゃ。
夕べ編集者からメールがあって、「現実」に戻された。
また自分に向き合う作業が始まる。

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