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年齢に縛られる国民性

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 13.2011 思うこと/考えること
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学生の時から先輩後輩の環境で育ったわけでないし、会社人間でもない私は、「同学年」だとか「同期」だとかいうのがピンとこない。
そもそも、「◯◯歳だからこうしよう」とか、「◯◯歳になったからもうやめよう」とか、年齢にしばられる人生を選択してこなかったので、普段の生活の中で「年齢」を意識することがない。
それは「自分の」もそうだし、「他人のも」である。

人の人生や成長や経験はさまざまなわけで、10代で老成する人もいれば、40代で世間知らずもいる。
「◯◯歳だから◯◯歳らしく」というのはいかにも日本人的な、「年齢でカテゴライズしたがる」国民性からきている。

元々年齢に関係ない生活を送って来たのであるが、アメリカに住むようになってさらにそれは関係なくなった。
アメリカ人は、というか欧米人はまず、人に会った時に年齢を聞かない。(日本人に限らず、アジア人は結構初対面でもぶしつけに男性が女性に年齢を聞いたりする。むっとしている欧米女性はアジアでよく見かける)。
お誕生日は盛大に祝うが、何歳になったとかあまり言わない。また招待された人も聞かない。
大体、履歴書にも生年月日など書く人もいないし、面接の時に聞かれもしない。
顔を会わせば大体の年齢なんて分かるわけで、そこの職場に向くのか向かないのかは人となりで分かるわけだ。

アメリカで赤の他人に年齢を聞かれる時って、医者に行ったときくらいなものだ。


2年前に6年ぶりに日本に帰った時、さすがに6年ぶりだけあって逆カルチャーショックは色々あった。
日本のお札から夏目漱石の顔はいなくなっていたし、Suicaという便利な物で地下鉄にもバスにもJRにも乗れるようになっていた。

だが一番カルチャーショックだったのは、会う友人会う友人全員に、年齢を聞かれたことである。
もう何十年知っている友人だったりするのに、その友人といくつ離れているかもお互いに大体分かっているはずなのに、まるで近況を確かめるかのように「何歳になったの?」と挨拶のように聞かれるのだ。
私に聞くだけでなく、彼らは自ら「私はもう◯◯歳になったしね」とか「◯◯歳なんだよ、もう」とか、聞いてもいないのに告白する。
しかも「◯◯さんはもう◯◯歳になったんだよ」とか、「◯◯ちゃんはもう◯◯歳だしね」とか、その場にいない人のウワサも「年齢」で近況報告してくれるのだ。まあ、確かに。日本女性は「結婚適齢期」だとかにこだわるし。別に何歳になっても結婚なんてできるんだが。「適齢期」なんてものは一人一人違うのだ、自分で決めればよいのに世間に左右される。 子どもを産むのはある程度限界があるだろうけれど、その「限界」だって人それぞれだ、他人があれこれ言うものでもなかろう。
彼らの会話の中に飛び交う「年齢という色んな数字」を聞いていると、悪いとかよいとかそういう意味ではなく、ああ、これが日本人というものか、と改めて感じたものである。

日本人が年齢にやたらとこだわるわけは、日本人の教えにも関連している。
「◯歳だから◯歳らしく」という常識みたいなもの。
それは、面白くない横並び的な年齢的共通性を生み出す要素でもあり、よく言えば「年齢的常識からはずれない」お行儀を守るためのルールでもあろう。

逆に「年齢横並び文化」がないアメリカにおいては、年齢にしばられていない分生き方はさまざまであり個性的であるが、大人になっても子どもみたいな人たちも多い。
「◯歳だから、もうそろそろ落ち着こう」みたいな教えがないと、こうなるのだ、という結果でもある。それは悪いことではないが。
日本人の友人が「30歳になってさすがにこれは着れない」とアニメのTシャツを持って言ったことがある。好きなキャラクターなら着ればいいじゃないか。
50歳になってもスパイダーマンのTシャツを着ているアメリカ人男性たちは一体どうなるのか?
日本でいい年してアニメTシャツを着ると、「ちょっとイカれた人」に見られてしまうのだろうか?
確かに、年齢を飛び越えた(エイジレスな)自己表現が下手な日本人がそれをやってしまうと、とんでもなくセンスのない人に見えてしまうので、それも問題だ。社会に迷惑がかかってしまう(笑)。


日本の学校制度も「年齢を気にする」文化の元になっていると思う。
高校までの12年間、同じ年齢の生徒たちと一斉に学ぶのが普通。
大学に入ってやっと、浪人組だとか留年組だとかに出会うので、1~2年年齢が違う人と一緒に席を並べるチャンスが巡って来る。それでもやっと、数年の差であるが。
病気などの理由で1年繰り下げた学年に所属している生徒が小学校の学年に1人くらいいたりする。
年齢が1つ上の生徒というのはどこか居心地も悪く、そしてどこかで「あの人は学年本当は一つ上なのよ」的な陰口を言う生徒も絶対にいる。
この「年齢は横並びに一緒で安心」的な要素が日本人には体にしみ込まれていて、大人になっても年齢で人を判断するクセがついてしまうのではないか。
いまだに、年齢が同じくらいだと発覚すると、あまり知らない日本人に「学年同じかあ!」と感動されたりする時があって、逆にビックリする。
いや、私はアナタと同じ学校には通ってませんが。。。。(苦笑)

この「年齢横並び成長制度」というのが、アメリカには皆無である。
小学校から飛び級繰り返す子はどんどん出て来るので、同じクラスに2~3歳年の違う子なんてざらにいる。
13歳で大学に入る子だっているのだから、「同級生は同年齢」なんて誰も思っていやしない。
就職するにも年齢を問われるわけではないし、アメリカの学生たちで「年齢」にしばられて行動している人たちは少ないと思う。

この、元々の「年齢を全然気にしない」ライフスタイルの私が、「エイジレス文化」のアメリカに暮らしてしまうと、本当に自分の年齢さえ忘れてしまいそうになるから要注意だ。
自分で忘れてしまっていても、日本に帰ると「必ず」聞かれるからだ。しかも旧友たちに(笑)
そこで「思い出して確認する」行為は悪いことではないのかもしれない。
日本に帰ってしばらく「確認」が続いても、またどうでもよくなるんだけどさ。



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