崩れゆくケアロのダウンタウン

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 27.2012 シカゴからの小旅行
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「ケアロに行く」と言ったら、義父から「あの町では黒人は嫌われているから、気をつけなさい」と夫は言われたらしい。
公民権運動時代の白人と黒人の衝突は有名で、黒人の暴動からして白人側だって「黒人に嫌われている」とビクビクしていたわけだ。

しかしいまどき、いくらケアロだって白人の店に石を投げる黒人なんていないだろうし、黒人だからといって店に入れない白人だっていないだろう。
今は2012年。
義父の世代には、いまだに50年前の情報が拭え切れない人たちが多い。



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廃墟が続くダウンタウンに、ポツリと一軒「開いている」小さなダイナーがあった。
唯一開いている店だからか、結構客も入っている。
そこしか食べる所がなかったせいもあるけれど、夫と私(いわゆる、黒人とアジア人のカップル)が入っていったらどういう反応をされるのか私は見たくて、夫を連れて店に入った。
店のオーナー及びウェイトレスは白人だ。

80歳近くと見られる地元民らしき白人の老人4人が一組、テーブルに座っている。
そして別の席に、白人の老夫婦一組。
あとは黒人の若いカップル。
そして今食事が終わって出て行こうとする黒人家族4人組。

完全なる人種ミックス店である。
白人ウェイトレスはニコニコして我々を迎え入れる。暴動時代から50年経っているのだよ。義父を連れてきたいところだ(笑)
面白いのは、黒人男性たちは夫を見るとすかさず挨拶。まるで昔からの知り合いのように。
「クッ」も交わされる。(「クッ」については、「ブラック・カルチャー観察日記」にて詳しく)



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町という形成が崩れいくケアロというところで、「白人はダメ」「黒人はダメ」なんて思っていたら商売成り立たないのもあるだろう。
だけどそれよりも、人々の意識が既に変わって来ているわけで。少なくとも表向きは。

白人の老人たちが我々をビックリして見ていたのは、黒人の夫ではなく、「黒人とアジア人のカップル」という点だ。
それは分かる。
シカゴを出てから、イリノイ州、ミズーリ州の町やレストエリアや色んなところで、とうとう私はたった一人のアジア人も見なかった。
大体アメリカのどこの田舎にもチャイニーズレストランは一軒くらいはあるのだが、それすら無かった。
彼らが珍しいのは、アジア人。見たことないだろうなあ。

私一人でも珍しいと思うので、ここにアジア人がグループでやってきたら、それこそ上野のパンダのように(この例えが既に古くさいが。。。)珍重されることであろう。



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人々がどんどん去って行き、廃墟の目立つケアロであるが、ダウンタウンを一挙にゴーストタウン化させたのは、去年、2011年5月に起きた洪水だ。
2つの川に挟まれた町。昔から川は氾濫してきたけれど、ちょうど1年前の水量は記録的で、ダウンタウンの商業地域は強制退去させられたのだ。

町のストリートサインが全て錆び付いているのは、これ以上水位があった証拠。凄まじい。



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ダウンタウン商業地域の中心地だったと見られる通り。
レンガが敷き詰められ、外灯も並び。。。
手前の芝生になっている所にも、元はずらりと建物が並んでいたと思われる。
廃墟になった後は、持ち主によって取り壊される。
崩壊寸前なのもまだまだあるけれど、確かに危険。



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クラシックな映画館。
この建物を含めいくつかの元商業ビルは保存する運動もあるらしい。
だが綺麗に修復しても、それが観光源となるかは難しいところ。
なにしろ住民がいないのだから、観光に頼るしかない。だが、ケアロはどの町からも遠く、観光地にするには規模が小さすぎ、他との組み合わせもできない。非常に難しいところらしい。



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窓が割れている店。
廃墟になっても、観葉植物の緑がニョキニョキと茂る。



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建物は完全に壊されたけれど、床のタイルが残っている。
こんな地面があちこちに。

ポンペイ遺跡や、シチリアにあるピアッツァ・アルメリーナのモザイクの床を思い出す。
壁も天井も柱も無くなっても、床のモザイクが完璧に残されていたりすることがある。
それは何とも不思議な光景で。
まさかそれに似た光景を、こんなところで見ることになるとは。
タイルからして、元レストランとかクラブだったのだろう。



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今は、町はスキッ歯のようにあちこち更地が見えるのだが、この抜けている場所にもかつては建物がびっしりあったわけで。
1969年作の西部劇True Gritで、ジョン・ウェイン扮するルースターが、南北戦争の後に結婚してケアロでバーを開くというくだりがあるらしい。
元カウボーイ。男たち。連なる酒場。
かつてはそんな雰囲気に満ちあふれていた場所だったのだなあ。



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確かに、元飲み屋、居酒屋といった建物がやたらと多い。
ここは飲み助が多いのか?

そしてどの建物にもバドワイザーの看板。
バドワイザーといえばセントルイス。


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セントルイスとケアロはミシシッピ川で結ばれている。
創業当時から、船でバドワイザーがこの町に運ばれて来たのだろうな。



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ここは元自動車修理屋。



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すごい廃墟ぶり。
ここは川沿いにあるので、水害で退去したと思われる。
色んな物を置き去りにした形跡。

しかし、浸水の後に放置しておくとここまで建物はボロボロになってしまうのだな。
とにかく、荒れ方が普通の廃墟とは違うのだ。
屋根は朽ち落ち、ガラスも飛び散っている。



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廃墟の中にはよく入って撮影したりする私であるが、ケアロの廃墟には奥まで入れなかった。
いつ何が上から落ちて来てもおかしくないくらいなのだ。
ヘルメットをかぶっていたとしても、体が危ないだろう、という感じ。

ささっと撮ってすぐに外に出る。
なんせこの日は天気がくるくる変わり、雨雲が押し寄せ雨はいきなり降るわ、しかも強風。

こういう天候は、崩れ落ちた廃墟にさらに追い討ちをかける。


私は明らかに、色んな物が立ち並ぶ地域を眺めて「ここに何も無かった時代」を想像することの方が圧倒的に多い。
例えば東京の、高速道路が無かった時代のことを。
ビルが無く、東京の中心から富士山が綺麗に見えた時代のことを。

シカゴの街に、建物の代わりにインディアンたちの灯火の煙が上がっていた頃のことを。
ハワイのワイキキに、高層ビルが一つもなく海岸線だけが広がっていた時代のことを。

だがケアロは、あちこちが更地になっていて、人っ子一人歩いていない。
かつて、この道路の両脇に店や飲み屋や宿が並び、劇場や映画館に沢山人が出入りしていた時代を想像する。
なにもない土地を見て、かつてあった街並を想像してみる、というのも、あり過ぎる街並からマイナス換算して想像することと同じくらい侘しいことなのかも。

人は、人口過密になるとその反対を望み、ゴーストタウンになり始めると町の最盛を再度求め始める。


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