レビュー「家族について考える」

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 15.2012 「ブラック・カルチャー観察日記」出版・執筆日記
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TAKUMIさんによる、匠雅音の家族についてのブックレビューに、「ブラック・カルチャー観察日記」のレビューが載りました。

「家族について考える」というテーマで、本書を取り上げてもらったことは意外ではありますが、とても光栄。
おそらくこのテーマならば、新刊の『黒人コミュニティ、「被差別と憎悪と依存」の現在』の方がピッタリであろう。まさにコミュニティ、家族についての考察を第二弾では掘り下げて書いたので(「ブラックカルチャー。。。」の方ではそういうわけではない)


ともあれ、これもまたとても丁寧なレビューでありまして、レビューを読んで私も改めて考えさせられることもあり。

「教育こそ豊かになる最短距離だというのに、これは悩ましきことだ。」(レビューより)

そうなのです。これは私も一番強く信じていること。
この教育問題に関しては、もっと詳しい内情を、新刊の方で例を挙げながら取り上げています。
教育には、高校では4年とか(アメリカでは)、大学でさらに4年とか、院で2年とかそれ以上とか、勉学を「面倒くさい」と考えがちな社会にはとてつもなく「長く」思えるのかもしれないが、個人個人で受ける教育が(学校教育に限った事ではない)、その人の人生だけでなく、社会全体の豊かさに、そして将来の豊かさにつながるのだ。
学ぶ事の素晴らしさを知らない社会は悲惨でしかなく、絶対に自立できない。自立、すなわち本当に芯から強くなるためには、やはり教育しかない。暴力や暴動は強さどころか弱さの裏返しなのだ。
誰もが学ぶ機会を得られるようになった今。その機会さえおろそかにするのは、個人の問題でしかないと思うのだ。


「差別のツケは大きい。差別のツケは、差別したほうが払わされる。」(レビューより)

これも新刊の方で取り上げている。
差別した側(白人)は、過去の罪悪感から黒人たちを生活保護で守ろうとする。
そして守られる側(保護受給者の黒人)は、「それは当然」とする。
「奴隷制度による差別により、白人側は黒人を厚遇する「義務」がある」と言う。

それは正しいのだろうか?
実際、生活保護など受けていない自立した黒人たちは、「一体いつの話をしているの?」と言う。
自分の曾祖父母たちの世代ならば、頑張っても選挙権がなかった祖父母たちの世代までならば、そういう論理もまかり通るかもしれない。だが、生まれた時から選挙権もあり、奴隷でもなんでもない黒人たちが、いつまでも過去の奴隷制を持ち出して「守られる権利」を主張するのはおかしくないか?と。

そんなものに頼らなくてもいい黒人たちは(経済的にだけではなく、精神的に)、いつまでも「寝言」を言っている黒人たちに「早く目を覚ませ」と思っている。
そう。目を覚まさない黒人たちは、あと100年経っても「奴隷制の過去」を持ち出すだろう。ずっとずっと被害者でいる方が楽なのだ。


「我が国では女性が同じような立場に置かれている。」(レビューより)

女性に関しては、アメリカよりもずっと日本が遅れているのは現代でも同じ。
黒人問題を通して、女性問題を考えてくださったことも嬉しい。
それは私も、新刊の方を書きながら色んなことが念頭にあった。
黒人社会のことを書いているけれど、置き換えればそれは我が国日本の内部の問題にも当てはまることが多々あると。人間が作り出す社会の歪みは、土地や歴史が違えば形こそ変わるけれど、似たように発生するのだ。



「黒人のマイナス面ばかり取り上げてしまったが、筆者の夫が黒人である以上、黒人に否定的な感情を持っているはずがない。
黒人であっても良いものは良いし、悪いものは悪いのだ。」  (レビューより)


そういうことです。
黒人である誰か個人の問題点を批難したりすると、「あの人は黒人嫌いだ」と判断する人の方が、はるかに偏見に満ちている。
とある民族を全面的に賞賛したり崇めたりするのも、それはよく知らないからこそであり、偏見とも言える。
明らかに問題がある黒人の話を、白人の問題点を語るのと同じようにしない人は、差別的に思われたくないからだ。とある議論を避けて「スムーズな人間関係」を保とうとする人間は、人間関係のことなどではなく「自分がよく見られたいから」というのが最優先なのだ。
歴史的に黒人になんら非を持っていない日本人でさえ、人種問題を語るときに遠慮がちになる人がいて(アメリカに長く住む日本人に見られるのだ)、見ていてとてもおかしく感じる。「遠慮して」「気を遣って」言わない態度というのは、差別のない心と実は対極にあり、どこかで自分が上に立って黒人たちを見ているからだ。奴隷制度に関わっていない日本人なのに、どこかで「奴隷制度の被害者」「差別社会の被害者」と、黒人たちを「かわいそうな人々」と見なしているからそうなるのだ。それはちゃんちゃらおかしなこと。



「どんな社会にも問題がある。
でも、その問題を隠すことなく、あからさまにすることこそ誤解を生まない道である。」(レビューより)


ありがとうございます。
「あからさまにすることこそ誤解を生まない」という点は、いつも重要なことだと思って日々心がけていることなのだ。特に異文化に住むと強くそう感じる。
異文化や他社会のことを、「人ごとだから」と距離を置くのも、関心を持たないのも人それぞれで勝手ではあるが、興味があるからこそ私は首を突っ込むのだ。嫌いであったら興味など持たない。そして、興味というのは「愛情があるから」ということでもあるが、「愛情がある」イコール「その社会や文化を愛している。共感できる」ではない。
それは人間ならば、配偶者や自分の子供に置き換えてみれば分かる感情だと思う。いくら愛情があっても、全ての性格や行いを愛せるものではない。「想い」という言葉に置き換えられるだろうか。
「想う」という言葉は、決して興味や愛情のない人や物に対しては使わない。

誤解を生みたくないがために言葉にしない、という手段をとる人もいる。
でもそうしてたら、いつまで経っても先に進まない。私は、「スムーズな人間関係を保つ」ためにとある議論を避けたり、無なんに渡りあう人間関係とか人間というのが好きじゃない。
「関わり合わない」ことはケンカを生まないかもしれないけれど、決して交わらないし仲良くもなれない。興味があれば、ケンカを覚悟で話し合うだろうし、話し合えば、お互いに「違い」を感じながらも理解しあっていくのだ。それが異文化同士の真の交流でもあり、人間同士の交流であろう。

「問題を隠すことなく、。。。。」ということは、新刊の方ではもっと突っ込んである。
問題を赤裸々に書くという事は、とても疲れる作業ではあったが、それは私の中では大きな意味を持っていた。



「内部の問題だとして、その構成員が隠してしまったら、その組織はきわめて風とおしの悪いものになる。
我が国を考える上でも、興味深く読んだ。」(レビューより)

「我が国を考える上でも。。。。」。。。嬉しいお言葉。
本書でも新刊でもそうですが、異文化のことを単に書いて紹介するだけに終わらせたくはないのです。
私も書きながら、文字にしなくとも我が国のことや他国のことを考えていたりするし、色んな事は我々の社会にも通じているのだ。


最後に、一つだけ、私の言い足りなさでアメリカ(シカゴ)社会の誤解をさせてしまっている点が。
「筆者の住まいは、黒人と白人が混合しているというが、ここに住んでいる白人は貧しい人たちだろう。」(レビューより)

これは全く違うのだ。
どうも、アメリカの都市の「都心部は黒人たちが住んでいて荒廃。郊外には金持ちの白人」という60~80年代までの図式がまだ日本に定着したまんまのようなのだ。
NYもシカゴも、この図式は全く今は通用しない。
確かに、60年代から「郊外に一戸建てのマイホームを持とう」というキャンペーンが行われ、アメリカ人(白人)ミドルクラス以上はこぞって街から郊外に抜け出し、庭付きの家を買うのがステータスだった。
そして街中に取り残されたのが黒人だけになり、ダウンタウン近くには低所得者用の団地などが作られ、居残ったのが黒人をはじめマイノリティーだけになった。。。という図があった。
ところが、変わって来たのは90年代から。

元々はるか昔から、NYもシカゴも大都市はダウンタウンが街の「華」であり、歴史的な豪華な建築物がわんさかある。その荒れ果てた豪華建築を修復し直し、道路を整備し直し、公営住宅を取り壊し、公園を作り、地下鉄を綺麗にし、街の再復興にこぞって大都市はお金をかけた。
その効果があり、ここ20年でダウンタウンにはお金のあるヤッピー(ヤングエグゼクティブ)たちが大勢集まるようになり、地価は高騰し、以前の荒れ果てたダウンタウンなど欠片もない。
歴史のある瀟洒な建築は高級コンドミニアムやオフィスビルになり、古い赤煉瓦倉庫街も改装して高級コンドやロフトに生まれ変わり、子供のいないヤッピー夫婦たちが移り始めたのだ。

この「街に戻って来た層」というのは、人種差別意識もない白人層でもあり(差別意識がある保守層は街になど戻ってこない)、また黒人コミュニティから出た、お金があるだけでなく、白人のいる地域に住むことになんら違和感を持たない黒人層でもある。
これが、今や大都市のダウンタウン周辺の「人種ミックス地域」なのだ。

そういう地域に我々夫婦は住んでいる。
従って、我々の周りにいる白人たちは、全然貧しくはない(笑)
どちらかというと、年齢の割にはかなりのお金がある人たちだ。子供は生まずに人生を楽しむ層も多い(大きな犬だけは飼う)。
ダウンタウン近くのコンドミニアムは高い。決して「貧乏」は住めない地域である。

そして、郊外には金持ちの白人。という図式もおかしい。
というのは、郊外というのは、マイケル・ジョーダンが家を持つような「超」高級住宅街もあるけれど、そんな住宅街の方が数はずっと少ない。
アッパーミドル、ミドルクラスの住宅街から、ロウアーミドルクラス、ギリギリミドルクラスまでいろいろだ。
ミドルクラス以下の家は庭も広いし大きいが、ダウンタウンのコンドミニアムよりもはるかに価格は安い。
であるから、「郊外はお金持ち」というのは成り立たない。
成り立つのは、「郊外に黒人が少ない」ということ。

郊外にどんなに安い物件があろうとも、黒人たちは白人地域に住みたくないだけの話である。
であるから、ダウンタウンから離れた街(郊外とは呼ばない)の「黒人居住区」に住み続けるのだ。

ここら辺のアメリカの都市部の事情、日本人には分かりにくいところであるね。
今や、NYだって「元労働者地域」が高級アパート地域になっちゃっているし。
かつて倉庫街だったSOHOなんて、80年代初頭までまだオンボロで汚くて安かったのだよ。だけど今やとんでもない高級ショッピング街と化した。
労働者の集まる食肉工場街も、いまやトレンディースポット。
かつてマンハッタンから見れば労働者階級や貧困層が住む地域と見なされていたブルックリンなんて、今やマンハッタンよりも人気があるくらいになった。

そのように、アメリカの都市部は10年単位で流動が激しい。荒廃している所がいつまでも荒廃しているわけじゃなく、あっという間に再復興して高級になっちゃったりするのだ。
マンハッタンにとても家なんて簡単に買えなくなってしまったのと同様、シカゴのダウンタウンのコンドミニアムは、郊外で一戸建てが買える値段でとても小さなスペースである。
その代わり、近年急激に郊外の家の価格が下がって来ているのだけれど、ダウンタウンのコンドミニアムは人気なので下がらない。それだけ若い層が街に魅力を感じ、戻って来ているという証拠でもある。

それゆえに、「貧乏な黒人たちは、黒人達で集まって住み、」(レビューより)というのも違う。本書には「貧乏な」とは決して書いていないのだが、アメリカ都市部の現状が詳しく分からないと、これはこのように読めてしまうのだな、と私もハッとした。
黒人居住区の中には、貧困層から富裕層までの黒人たちが住んでいるのだ。「貧乏な」黒人だけがいるのではなく、ミドルクラスの人間も「黒人達で集まって住む」のである。
ミドルクラスの人間でも外に出て行かずコミュニティ内に留まり続ける人が多いということが、典型的な黒人の特徴なのだ。
居住区の説明、コミュニティのここら辺のことは、新刊の方により詳しく書き記した。

一冊の本に、なにもかもを詰め込むことは無理。
どこを削ってどこを書き足すか。校正段階までかなり悩ましいところである。
説明不足だと誤解を生み、読者はきっと勝手な想像をしてしまう。また、元から持っていた勘違いを膨らまし、勝手に想像してしまったりする。
一方、説明過多になりすぎると、これまた読み物としてしつこくなる(笑)
本筋をどんどん書き進めて行きたいのに、途中に入る言葉や事象の補足説明でリズムが崩れることってよくあるのだ。
だが説明がどうしても必要な場合は付け加える。これまた、「少し」の説明だと誤解を生む。だから正確に書こうとすると、どんどん説明部分が膨らんでしまう。
この補足加減と削減加減。ビミョーなバランス。
新刊の方は、ノンフィクションだけにこの点手を抜けなかったところである。
編集や校閲の方たちの意見を聞きながら、何度も何度もやり直した。
それでもある読者にとっては「こんな説明しなくても分かりきったことだよ」と受け止められるだろうし、またある読者にとっては「補足説明がなかったら読んでいてさっぱり分からなかった」となるだろう。
万人にピッタシの標準というのはないのである(笑) 悩む悩む。


ともあれ、こういうレビューは本当にありがたい。
どのように読者さんが読み砕いてくださっているか、とっても勉強になるのだ。
感謝感激。


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