人を撮る、ということ

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 04.2012 人々
hitow11.jpg



好きなものが沢山あるので、ジャンルにこだわらず色々なものを撮る。
その中でも人物を撮るというのは一番難しく、だがその分面白い、とは思う。

ここでいう人物とは、街の中の知らない人など、偶然出会った被写体のこと。
モデルを撮ることも、ミュージシャンを撮ることもあるけれど、その場合は「撮られる側」と「撮る側」の関係がちゃんと成り立っている。
関係が成り立っていれば写真を撮るのも易しい、とは言わない。いい写真を撮るということは、また別の次元の話だ。

「撮られる側」と「撮る側」の関係が成り立っていない場合、それはただ一方的に撮る側のエネルギーが必要になる。
向こうに気付かれてニコッと笑ってくれるような環境が整った場合は別である。
しかし世界のほとんどの場所は、「微笑みの国タイ」のように、カメラを持った旅行客にニコニコ笑顔を振りまいてくれる、なんてことはないのである。



hitow21.jpg



人々が普通に生活している場所というのは、一番魅力的だ。
しかしそういう所こそ、そこの居住者以外はいないしカメラをぶら下げている人などもいないわけで、「カメラ」は目立つ。
特に一眼レフカメラというのは、大きくて目立つ。

そのカメラを目立たさないように歩き(笑)、これぞ!と思ったシーンに出くわすと何食わぬ顔で気付かれぬようにシャッターを切る。
どこのコミュニティでもそうだが、特に黒人街というのは、人の写真を撮るのにエネルギーが要る。というのも、飲んだくれやポットヘッドや、そうでなくても「悪いこと」をしている人間も沢山いるわけで、撮っているのに気づかれると「彼らの悪行」を撮られていると勘違いする人もいるからだ。


hitow31.jpg



なんで撮るのか?
それは花や紅葉や風景や建築を撮ったりするのと同じ理由だ。
惹かれるから。美しいと感じるから。

フォトグラファーのいう「美しい」というのは、なにもキラキラしたものばかりではない。
いわゆる「汚い」ゴミの舞う路地裏も、時と場合によっては「美しい!」と思うから撮るのだ。
そのとき決して、「うわっ!汚い!」と思ってはおらず、「Beautiful!」なのだよ。
絵になることは全てBeautiful。

そして、その「絵になる」という感覚は、悪いが被写体たちは気づいておらず、撮る側だけの楽しみだ。
その「絵になる」瞬間は、そこら辺に転がっているわけではない。
なんせ向こうは動いている。しかもこっちに気づかず動いている。動いているものを止めるわけにはいかない。
風景も、表情も、全てばっちりいい場面だ!と思ってカメラを構えると、横から別の人が歩いて来て場面を遮る。。。なんてことはしょっちゅうだ。
映画のシーンなら「もう1テイクを!」と頼めるが(本当は頼みたいが)、そうはいかない。
相手がモデルなら、「もっとこういう表情を」と頼めるが、そうはいかない。
被写体が花や建築や夕焼けなら、30分でも1時間でもしつこくひっついて、ありとあらゆる方向から撮りまくれるが、いつどこからやって来るか分からない「知らない人たち」はそうはいかない。



hitow41.jpg


同じシーンを何枚も撮ることはほとんど不可能だ。
気づかれないように撮っているのだから、シャッター切ったら知らぬフリ。
ほとんどが1枚きりの世界。
連写でカシャカシャカシャとシャッター音が響いていたら、それこそ他の人にも怪しまれる(笑)。

人物に遠慮して腰が引けていると、やはり写真も迫力がない。
写真は恐ろしいほど、撮っている者の姿勢を表す。
これぞというときに思いっきり踏み込めたとき、やはり気持ちも写真に表れる。

被写体にこちらと同じ「意識」や「気持ち」がある人物の場合、相手の領域に「踏み込む」のは骨が折れる。
でも踏み込まないと、いいもの撮れないのね。
これ、「文章」と一緒。
小説でもノンフィクションでも随筆でも、腰が引けている作品は面白くない。
「相手」が人間の場合、踏み込むのには勇気が要るが、踏み込んでいる作品というのは訴える力も強い。




hitow51.jpg



自分で「腰が引けてるなあ」と思える自分の作品は、やっぱり駄作。甘い甘い。
ドキドキしながらも、ヒヤヒヤしながらも、一歩二歩ギリギリまで前に出て、これぞというのが撮れた時は満足だ。
相手がどういう動きに出るとかというのが、そういう時って動物の感みたいなもので分かる。
シャッターチャンスを、獲物を狙うことに例えることが多いが、相手が生身の人間だと、まさにそうかな。

頑張って踏み込んでいきましょう(笑)。
上にも書いたが、まさにシカゴの黒人街は「微笑みの国」であるタイや他の東南アジアの国々とは対極的な場所だ。
「よそ者ウェルカム!」なんてムードは皆無だから(苦笑)。保守的~。

築地市場の撮影では、動体視力、反射神経、足腰の筋力、仕事人を邪魔しないように撮るマナー。。。が必要とされるが、シカゴ黒人街の撮影には図々しさ、図太さ(同じことか)、しらを切る態度、空気のように透明人間のようになる方法(なんせ異色人種である自分はそれだけで目立つので)。。。などなどが求められ、自然に身に付く(笑)。

それぞれの写真に、それぞれの思い出が。
相手が気づいても気づかなくても、それはフォトグラファーと彼らとの対話から生まれたもの。一方的なラブコールと言えるけどw
『黒人コミュニティ、「被差別と憎悪と依存」の現在』も、そんな写真がいっぱい織り込まれております♪



hitow61.jpg



『黒人コミュニティ、「被差別と憎悪と依存」の現在』高山マミ著
亜紀書房より5月9日発売!
Amazon
ビーケーワン
丸善&ジュンク堂
楽天ブックス
セブンネットショッピング




『ブラック・カルチャー観察日記』高山マミ著 
全国の書店で好評発売中!!

オンライン書店(以下は一部) 
Amazon
丸善&ジュンク堂
楽天ブックス
セブンネットショッピング
ビーケーワン
紀伊国屋書店BookWeb











スポンサーサイト