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「いじめ」と「暴行」は違う

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 26.2012 思うこと/考えること
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私は理想主義じゃないのでハッキリ言うが、いじめは無くならない。

幼稚園の年齢の頃までは、その社会に「いじめ」は見いだしにくいらしいが(「いじわる」はある)、小学校に上がる頃から増えはじめ、4年生頃から中学生までがピークではなかろうか。
それは人間が社会に出た成長の一環として捉えられてもおかしくない。
ここでいう「いじめ」とは、最近世間をにぎわせている、「暴行」(暴行を「遊び」と認識する人もいるようだが)とは違う。
殴る蹴る、骨折させる、自殺の練習をさせる、死に追い込む。。。こういうのは暴行や傷害や殺人であり、学校内や家庭内で解決できる(すべき)ものではない。

子供は学校という競争社会に出て、初めて「違い」を見、また成長過程の上で、「違い」を感じるようになる。
合わない「大人」(先生)に会うこともあろう。自分とは違う子供が沢山いることも知る。
成績にしても運動神経にしても容姿にしても、優れている者とそうでない者がいることを知る。
子供なりの緊張も成長には必要で(いつまでも守られるわけではない)、そのはけ口を自分なりに見つけようとする。
はけ口の一つが「いじめ」という形で現れる子供はいるわけだ。

自分と違うものをいじめる行為。それは、自分自身を認めようとする行為のあがきでもある。
自分より劣っていると思う相手を見つけていじめる場合もある。
自分より背の低いヤツ。弱そうなヤツ。大人しそうなヤツ。太っているヤツ。すぐ泣くヤツ。。。。
相手が一番イヤなことを見つけて、反論出来ないことをいいことに、自分が優位に立つためにいじくりまわす。

一方、自分より優れていると思う相手をターゲットにいじめる場合も同様にある。
自分より可愛いヤツ。男にモテるヤツ。先生に好かれるヤツ。自分が欲しい物を持っているヤツ。。。。
これも自分が優位に立つために、先回って優れていると思う相手を打ちのめすのだ。

単に自分と違う理由でいじめる場合もある。
転入生。関東弁を喋るヤツ(関西にて)。大阪弁を喋るヤツ(東京にて)。変わった喋り方をするヤツ。ハーフのヤツ。変わった名前のヤツ。髪に大きなリボンを付けてきたヤツ。。。。。
「違うもの」が目障りだとする人も多いが、違うものへの興味(本当は好きだったりする)が「からかい」になる場合も子供には多い。
からかう側はそれほどの悪意はなくても、からかわれる方は心に大きな傷を負い、いじめ以外のなにものでもない。

このように、いじめられる側にはパターンはない。
いじめる側は、率先してやる子にはコンプレックスを敏感に感じてしまうなどのパターンがある程度あるだろうが、率先してやる子供に付いていくタイプには全くパターンがない。
自分もいじめられるのが怖いからいじめ側に回るなど、「仲間付き合い」でいとも簡単に変身してしまう。
学校やクラスなどの「組み合わせ」によって、誰もがいじめられる可能性もあり、誰もがいじめる可能性もある。

いじめを肯定するつもりは全くないが、人間の社会というのは悪を内包していないと善が成り立たない。
善だけの社会なんて、人類生まれてから一度も存在したことない。
人間も社会も、よい人と悪い人、よい社会と悪い社会があるのではなく、一人の人間の中に、一つの社会の中に、善も悪も存在しているのだ。
悪を全く排除して、善だけの社会や人間を作ろうとすると、それはいつか危険な形で爆発する。
悪を内包しながら、存在を認めながら、よい方向に向かって行くのが正しいやり方だと思う。

いじめは無くならない。
これだけ違う人間が同じ空間に詰め込まれるのだ。どんな地域でも、どんな学校でも、公立でも私立でも、予想出来ずにそれは起こる。
日本固有の問題でもなんでもない。都会も田舎も関係ない。
「日本は村社会」だから、「違うものを排除する」傾向がある。それがいじめにつながる。。。と言う人もいるが、「違うもの」が気になり、つまみ出したくなるのは日本人だけではない。
昔からのヨーロッパにおけるユダヤいじめ。アメリカにおける移民いじめ。
どれもこれも、彼らが他言語を話したり、見かけが違ったり、服装が違ったり、違う信仰を持っていたり、違う食べ物を食べていたり、そういう違いからくる「恐れ」が根本にある。
現代のアメリカの白人社会にも、黒人社会にも、ヒスパニック社会にも、そしてミックスの社会にも陰惨ないじめはある。集団無視もある。

いじめが起こるのはどこでも同じだが、いじめの対処方法は学校や地域や先生や父兄によって全く違って来る。
いわゆる、大人の行動の違いだ。
そこが問われる所だ。

小学生や中学生は、外の世界を知らない。学校生活が精一杯の外の世界だ。
大人の管理下にあり、自由はなく、大人を信用出来ず、逃げ場もなく、「年数が経てば環境も変わる」なんてことすら理解出来ないほどの人生経験しか持ち合わせていない。
大人にとって1ヶ月や半年や1年が「あっという間」でも、小中学生のそれは違う。大人の何倍もの密度の時間で生きている。

いじめの有無の確認ができるできないの前に、「起こった場合には大人が被害者の味方になれること」を明確に子供たちに伝えておく必要がある。
親がまず第一だろうが、家庭環境に恵まれていない子供たちもいる。
そのために学校の先生の存在があるのではないか。
親か先生。一般の小中学生たちには、身近な大人というのはこれしかいない。
この両方が「信用出来ない」存在だとしたら、子供は救いようのない立場に置かれてしまう。

残念なことに、この救いようのない立場にいる生徒が多いというのが現実だ。
いじめを隠蔽するようなあくどい先生たちは論外として、一生懸命にやっている先生たちも見落とすことはいくらでもある。小中学校の先生というのは、本当にいろいろと多忙だ。

そこで必要となってくるのは、外部のプロ(カウンセラーなど)ではないだろうか。
各学校に常駐してもらうのは難しいとしても、なにかあった場合の連絡先を生徒たちが持っておくこと。
いつ相談しても、真摯に問題を考えてくれる大人の存在を把握しておくこと。これだけでも生徒は救われるし、死に至るまで一人で悩み続けることは少なくとも避けられるはずだ。
連絡先さえあれば、虐められている本人が躊躇して連絡できないとしても、目撃者が連絡できる。匿名で報告できることも明確にさせておかなければならない。
子供というのは、「ちくった」と仲間はずれにされたり報復されるのを一番恐れる。だから見て見ぬふりをする。
報告する目撃者が、「密告者」などと言われぬ配慮も必要だ。

自分の子供が他人をいじめていたり、いじめられていたりするのに自然と気づく方が少ないのではないか。
大人になる過程という子供というのは、子供に見えても、「親に心配させたくない」と配慮している。
自分の力ではまだなにもできない立場にあるのに、気持ちだけは大人に近づいているので、そこがややこしい時期なのだ。

学校、教育委員会、市、地域や組織ぐるみで事実を隠蔽をするような事件は、もはや単なる「中学校のいじめ問題」ではない。
日本には、こういった悪質な事件が表になっているだけでも多く(報道されていないのを含めれば数知れない)、このような学校での事件の質も、隠蔽する体質も含めて、これは日本特有の問題と言わざるを得ない。
これに関しては、「いじめ」とは全く別問題である。
こういった加害者たちを作り上げてしまう環境に問題がある。
悪いのは加害者だけでなく、加害者を裁けば収まる問題でもないので、今後根の深い問題を一つ一つ解決していくしかないだろう。
その根源も、人間が作ったものだから。




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