ガビー・ダグラスに思うこと

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 04.2012 ブラックカルチャー
ethio11.jpg



ロンドン五輪。
体操女子でUSAのガビー・ダグラスが金メダル。

この報道で、「誰も言わなければいいな」と思っていたことを、やっぱりニュースでちらっと言った。
「体操界で、(黒人)初めての金メダル」

この事実は変わりないのだが、もうそろそろ、「黒人初の」という形容詞は時と場合によって付けなくてもいいのではないか?と切実に思う。
大統領の話とわけが違う。

大統領とは違う。。。のだが、私はあのオバマと言う人に限って言えば、「黒人初の」という形容詞が最も似合わない人だなあ、と思っていた。
何故なら、オバマはそういう次元で生きて来た人ではないから。「黒人として」「黒人だから」という十字架から解放されている人格だから、あのカリスマ性が人種を超えて伝わるのだと。
一方、シカゴのサウスサイドの貧しい家庭で育ったミシェル夫人は、オバマとは違い「黒人」を背負っている。
それは家庭環境、世代、育った環境、性別、地域、そして個人の差によって背負うか背負わないか、意識するか意識しないかは全然違う。
背負うことを「誇り」にする人。「背負う」ことを忌み嫌う人。黒人であってもそれぞれだ。

このガビー・ダグラスという16歳の少女を見て、この子ほど「黒人として」という形容が似合わないと思ったのだ。
アメリカの女子体操界というのはご存知、まだまだ白人、プラスアジア系の社会だ。
そこに入るという黒人はそもそも、その時点で人種のバリアを克服している人間なのだ。
彼女が何歳で体操を始めたかは知らないが、この道を進んで行く、と決めた時点で、「黒人らしく」とかいう黒人ならではのプライドも、「黒人だからなあ」という黒人ならではの卑下も、とっくのとうに捨てている(あるいは最初から持っていない)はずなのだ。

アメリカの多くの黒人は、黒人コミュニティ内で生きることを望む。
黒人が多くて安心だから。差別の恐れがないから。同じ人と一緒にいた方がいいから。
「黒人コミュニティ、「被差別と憎悪と依存」の現在」の中でも触れたが、黒人の大学生は、白人の多い大学に進学すると、「白人が多い」という環境に疲弊し、ドロップアウトする確率が高いのだ。
大学生の年齢になっても、黒人の多くはそうなのだ。

だが、ハーバードやイエールなどレベルの高い大学になるほど、黒人学生の卒業率が白人よりも高くなる。
このようなエリート大学に進学するような学生は、元から目的意識が高く、やる気も根気も、そして多少の差別があったとしてもそれに負けない、あるいは社会に十分受け入れられる素質を持っているということだ。

ガビーは体操のトレーニング強化のために、故郷ヴァージニア(南部の黒人の多い州)から、アイオワの田舎町、デモイン(白人州の白人街)に2年前に一人で引っ越す。14歳の時だ。
そのアイオワには、北京オリンピックで金をとったショーン・ジョンソンを教えた名コーチ、リアン・チョウが経営するジムスクールがあるからだ。

黒人州の、黒人の家族から一人で離れ、白人州の白人環境で生活をすることを選ぶ14歳。
ガビーは、「白人の生徒が多いために疲弊」を理由にドロップアウトする黒人大学生とはこの時点で違うと言えよう。
2年間の生活は、白人の家庭にホームステイ。この家庭には、ガビーくらいの年齢の女の子もいて、兄弟の多い家庭だ。「ガビーを家族として受け入れ、馴染めるように努力した」とファミリーは言う。
2年間、サンクスギビングにもクリスマスにも、一度もヴァージニアには帰らなかったらしい。それだけ大会を目指すアスリートの生活というのは厳しい。

ガビーは昔から飛び抜けて上手かった生徒ではなく、ここ1年で急激に成長したらしい。
オリンピック代表に選ばれるのも、ギリギリまで分からない狭き門。候補に選ばれていても、1週間前に怪我で脱落した体操選手もいる。
ジムメイトはほとんど白人。信頼するコーチは中国人。
この世界のライバル同士の緊張は、並外れた強い精神がないと保てないと思うが、そこに「黒人」という余計な意識があったら全う出来るものではないはずだ。

白人の多い大学に通う黒人学生は、教授に親身になってもらえないと「自分が黒人だから差別された」と思い込む。
こう思い込まないようになるには、黒人社会以外の場所の場慣れと、場数と、自分自身をよく見る力が必要だ。
「黒人だから」でなくて、自分が勤勉な学生ではないからではないのか?
あるいはその教授は誰に対してもああいう態度をとっているのではないか?
被害者意識は、自分に自信が持てるようになると薄れて行く。

女子体操の世界は皆「自分がディーバ(笑)」なので、ライバルに冷たい視線を送る人だっている。
それにいちいちガビーが、「私が黒人だからよく思われていないんだ」と思いこんでいたとしたら、金メダルのガビーはいない。
ガビーの明るく人なつこい笑顔は、誰からも愛されるだろう。
受け入れる側も、「彼女は黒人だけど」という意識はないはずだ。
これは世代の違いもあるが、個人の持っている資質の問題も大きく、ガビーとガビーの母親とでは大きな差があるように思える。
実際、ガビーを一人でアイオワに預けることに、母親は不安だったらしい。

もしオプラ・ウィンフリーがまだ自分の番組を持っていたら、間違いなくガビーをゲストに呼ぶだろう、と簡単に想像できる。
オプラはこういう人が好きだ。
そして、必ず「女子体操で黒人として初めての金メダリストとしてどのように感じる?」という質問をするだろう。
いままで「黒人として」なんて考えてこなかったガビーも、それなりに観衆が求めている答え、すなわち「黒人として誇りに思う」というようなことを言わざるを得ないだろう。
オプラは悪い人ではないが、彼女は「黒人代表」としての使命感をもって行動していて(彼女の立場として仕方ないが)、「黒人の多くが聞きたい質問」を代表して聞く役目を果たさなくてはいけない。
ガビーの一言で、一人でも多くの黒人の子供がガビーを目指してくれれば、という思いから。

冬季五輪のトリノ、バンクーバーのスピードスケートの黒人金メダリスト、シャニー・デイヴィス
彼も「初の黒人」「初の黒人」とメディアで言われ、辟易していた(様子で分かる)。
シカゴのサウスサイドの貧しいシングルマザー家庭で育ったシャニー。
当時(いまでも)、黒人コミュニティの黒人少年が、アイススケートをするなどどれだけ異様だったことか。
スケートの練習に行くことで、どれだけギャングにいじめられたことか。
彼と母親は、シャニーの練習環境のために、郊外の白人地域へ引っ越す。そこで彼はスケート技術を磨いてきた。
彼が「黒人らしく」と思うような人間だったら、最初からスケートなんてやっていない。
好きなものをやることがなんで悪いのか。違うことをすることがなんで疎外やいじめの対象になるのか。
彼はそういう意味で、シカゴサウスサイドの保守的な生まれ育った環境にも、周囲の黒人らにも、非常に冷静な目で見ている。
彼のように「黒人らしく」を求められる環境で育っても、それに疑問を感じて自分の道を強い意志で貫いてきた者としては、人種なんて関係ないのだ。
「黒人らしいことをしない」ことでバカにする「同胞」黒人らと、黒人の自分を才能で受け入れてくれたスケート界の白人界と、どちらがシャニーにとっては生きやすかったかは一目瞭然だ。

シャニー・デイヴィスは金メダルを取った後、オプラ・ウィンフィリーショーから出演依頼が来たが、断った。
オプラのショーというのは、シカゴ出身ならば出演することが名誉なショーでもある。
だが、断ったシャニーは分かっていたのだと思う。オプラは、シャニーが「黒人メダリスト」だから呼んだことを。
サウスサイド出身者として、黒人として。。。。そういう質問が来るのは分かりきったこと。
そんなことからずっと前に解放されて人生を歩んでいる「黒人」たちにとって、「初の黒人。。。」などという形容は本当に似合わない。
スケートをすることで自分をバカにしていたサウスサイドの黒人たちが、金メダルを取るといきなり「地元のヒーロー」「黒人が白人を負かした」と祭り上げる。まるで自分たちがシャニーを育てて来たかのように。
こういうのがシャニーは耐えられないのだと思う。

もちろん、そう言われることを「名誉」にする黒人たちもまだまだいると思うので、時と場合によって使い分けてほしいものだ。
黒人ならみな同じ感覚を持っている、という時代は終わり、世代の差と個人の差が大きくなってきている。




『黒人コミュニティ、「被差別と憎悪と依存」の現在』高山マミ著
亜紀書房より5月9日発売!
Amazon
ビーケーワン
丸善&ジュンク堂
楽天ブックス
セブンネットショッピング




『ブラック・カルチャー観察日記』高山マミ著 
全国の書店で好評発売中!!

オンライン書店(以下は一部) 
Amazon
丸善&ジュンク堂
楽天ブックス
セブンネットショッピング
ビーケーワン
紀伊国屋書店BookWeb





スポンサーサイト