The Great Gatsby

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 23.2013 映画よもやま話
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先週、映画"The Great Gatsby"を観て来た。
何度も映画化されているフィッツジェラルドの小説。情景が浮かび上がるような文体の名著を、どのような解釈で映像化するのか、というのはいつの時代も大きな課題であろう。

レオナルド・ディカプリオがギャッツビー役。予告でこれを見たときは、少なくとも、1974年作品のロバート・レッドフォード主演のギャッツビーよりはいいかも、と思った。
レッドフォードのギャッツビーにはピンと来なかった記憶がある。ギャッツビーという人間は、華麗で物腰も紳士的で(後から身につけたものだが)カリスマティックなのだが、ハンパでない劣等感や野心と同時に卑しさも持ち合わせている。そのイヤな部分(育ちのいい者から見たら)をいやらしく(笑)演技出来るのは、レッドフォードよりディカプリオだろう。そして、その期待は裏切られなかった。私の中のギャッツビーのイメージはまた違うのであるが(今後もいい役者がどんどん演じてほしい)、ディカプリオの方がずっと近い。この役は誰がやっても難しいし(古典なので、それぞれの人の中にそれぞれのギャッツビーが存在する)、誰がやってもピッタリとはいかないだろう。
しかし、他のキャストがとても素晴らしかった。トム・ブキャナン役のオーストラリアの俳優ジョエル・エドガートンはまさしくトムだったし(そうそう、トムってこういうヤツだよ)、デイジー役のキャリー・マリガンもいい感じ。大金持ちのお嬢さんの無責任的かつ無垢な欠落ぶりが演じられていた。
最もピッタシだったのは、語り手ニック役のトビー・マグワイア。 冷静に、シニカルに、そして愛情をも持ってギャッツビーなるクセのある人間を、そして富裕層のどこか狂った人間たちを観察して語れるニックを出来るのは、どこかぼーっとしているけれど賢そうなトビー君でグー♪

ジャズエイジの時代の話に、音楽がJay-Zとかってどうなのよ?。。。 と観るまでここが不安な点であったが、不思議なことに全然気にならなかった。古い時代の話に新しい音。映画の自由なところ。


映画を観る前に、もう一度本を読んでいこうと思った。
実家の父の書棚には沢山の洋書があって、もちろん"The Great Gatsby"もあるのだが、残念なことに日本帰国時にもらって来なかった。



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父の本棚のほんの一部。洋書は英語がほとんどだが、フランス語の本も。


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ペンギンブックスだけのコーナーも何段も。この本は小さいので、この奥に2列と、全3列になってビッシリ治まっている。
父が高校生の頃に読んだ年代物も沢山。このペンギンブックスの中にある、年代物ギャッツビー。

私の手元に本がないので、本屋に行くしかないと思ったが、ネットで無料で全章読めてしまった。便利な世の中。
20代初めに読んだとき、ピンとこなかった小説。それなのに、今回読んだら面白くて引き込まれた。年を取るってこういうことか(笑)。フィッツジェラルドの素晴らしさを確認できただけでも、年取った甲斐はある。


この小説の書き出しから好きだ。
In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I've been turning over in my mind ever since.

“Whenever you feel like criticizing any one,” he told me, “just remember that all the people in this world haven't had the advantages that you've had.”


恵まれた家庭で育った人は、特別に金持ちでなくとも経済的に全く不自由のない環境で生まれ育った人は、この最初の分でハッとするだろう。
若い頃読んだ時にピンと来なかったのは、その頃自分が恵まれているとも思っていなかったからだ。人に言われて頭で分かっていても、体験として分かっていなかったのだ。そうでない人(恵まれていない人)がいることは知っていても、その人たちがどういう気持ちを持ち、どういう思いで生きているのか、彼らの野望だとか乾きだとか憧れだとかを、全く理解できずにいたのだ。
その立場にいる者が語り手のニックだが、お父さんに大事なことを言われる。ハッとしたのは、私も同じようなことを父に昔言われたからだ。
私の場合は、批判したくなるような人に出会った時に、なぜその人がそのような態度や考えや言葉を持つのか、その人がどういう環境で育って来たのかをなるべく想像するようにしてきた。高校生の頃からのことだ。
人それぞれ、生きて来た環境が違えば物事に対する考えも異なる。人間は、例えば兄弟構成が違うだけでも、物の見方や人に対する接し方が違って来るという、環境に非常に左右される生き物だ。「この人イヤだなあ」と思っても、その人を取り巻いてきた環境を想像すると、簡単には嫌いになれないものだ。肌が合わなくとも、認められなくても、少なくとも自分とは違う世界の観察の対象にはなる。人間っていろいろいて奥深いなあ、と教えてくれる教科書にさえなる。
それをやってのけてくれているのが、語り手のニックだ。

書き手のフィッツジェラルド自身は、どちらかというとギャッツビーに近い。そのものとまではいかなくても、自身の生き方や恋愛の経験は、かなりストーリーに反映されている。この小説を書くために、狂ったパーティ生活を楽しんでいたとも言われる。そして、こんな小説が書けるのならば、どんなに批難される生活を送ろうが、その生活には価値があるだろう。

ところで私の好きな出だしだが、映画では「父からの助言」が全く映画用シナリオに書き換えられていて残念だった。。
ここの部分だけでも、日本語の翻訳は翻訳家の数だけ違うという。
翻訳は、「どれがピッタシくるか」でいつも話題になるが、ピッタシもなにも、原文は一つしかないのだ。「こう」でも「ああ」でもなく、作家は単語一つにしてもあれこれ悩み、「これ」しかないのだ。ちょっと違うだけで、ニュアンスが全く変わって来てしまう。英語→日本語にしても、日本語→英語にしても、そこが翻訳本の辛いところだ。
かつて三島由紀夫の翻訳本って一体どんなものかと英語で読んでみたことがあるが、それは私の知っている三島からはかけ離れていた。三島の日本語は、響きの美しさだけでなく見た目の美しさがある。ページに浮かぶ、彼の選ぶ漢語の漢字とひらがなのバランス。そういうものはアルファベットでは感じることが不可能だ。
原書と翻訳された本は別物だ。別物だけれど、なるべく作家の思いに近づくよう努め、その国の人の心に響く言葉を選び、翻訳家たちは奮闘する。最近、村上春樹の翻訳本が出たらしいが、ギャッツビーを読みながら「ここは彼だったらどのような日本語に置き換えるのだろう?」と何度か興味がわいた箇所がある。いつか読んでみたい。フィッツジェラルドの作品としてでなく、村上春樹作品として。

小説の文章はそのまま使われている箇所も多いが、冒頭の台詞変更以外で残念なところもいくつか。
第九章の最後の方で、ギャッツビーのお父さんが「偶然見つけた」と持って来る、ギャッツビーが少年時代に読んでいた本。本の裏に書かれた少年ギャッツビーの日々のスケジュール。朝6時から夜の9時まで時間刻みで。。。。。ジンとくる。
華やかで行き過ぎのギャッツビーの物語の最後に、泣かせてくれる。切ない。
小説の冒頭のニックの父親の言葉にあるように、人はみな、恵まれて生まれて来るわけではないのだ。人を批判したくなったら、それを思い出さなくてはいけない。
映画に入れてほしかったなあ、ここ。

だが、小説一番最後の美しい段落(Gatsby believed in the green light, the orgastic future that
year by year recedes before us. It eluded us then, but that's no matter — to-morrow we will run
faster, stretch out our arms farther. . . . And one fine morning ——
So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.)は、映画でもそのまま使われていて安心した(トビー君のナレーションで、美文に酔いましょう)。
ここを省いたり変更したら、怒るでー!

この本には「Old sport」というギャッツビーがやたらと言う「親友」みたいな意味の言葉が沢山出て来る。出てきすぎて耳(目)に障る(笑)。しかしこれが、フィッツジェラルドの狙い目。こんな古臭い言葉、聞いたことない。当時でさえ、そうそう使われていなかったらしい。それをギャッツビーは気に入っているのか、必ず言う。
この「耳に障る」台詞、ディカプリオは上手い。「Old sport」をやたらと耳障りに言ってくれる。笑える。映画を観た後、誰かに「Old sport!」と言いたくなる、やたらと(笑)。
このビミョーな言葉、日本語ではやはり「親友」とかと訳されているのだろうか。なんかちょっと違うんだけど。

映画に流れるJay-Zの音楽を聴きながら、そういえばJay-Zは現代のギャッツビーだよなあ、とふと思った。今は彼に音楽があるけれど、ど貧困から脱出した手段はドラッグディーリングだ。頭のよい彼は、自分は決してドラッグはやらず、ビジネスに徹して大金を手にした。
彼が音楽を担当したのも、なにか感じるものがあったからだろうか。一般にアメリカでは、白人作家が書いた白人富裕層の物語を、黒人たちは読まない。全くシンパシーを感じない。。。。と、彼らは思っているから読まない。
でもどうなんだろう。アメリカンドリームはいつの時代においてもある。そして今は、どん底から大金持ちになるケースは、黒人にこそ多い。ギャッツビー的なのは、黒人にこそ多い。
映画にJay-Zを起用したのは、黒人の観客狙いもあるのかも。
ちなみに、この小説が好きな人は「音楽がヒップホップだから行きたくない」と思うのが普通だと思う。知人の一人(ロシア系)も「行きたくなかった」一人だが、娘(中学生)は「音楽がJay-Zだから観たい」と言ったそうだ。

映画がきっかけでいいから、人種を超えて読まれますように。世代を超えて読まれ続けますように。
アメリカが、誇りに思うべき作品だから。





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