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読書感想文(2)「憧れ」について

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 19.2013 日々あれこれ
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前回の続き。

安井かずみという人のことは、とある世代にとってはすごい有名人なのだろうが、知らない世代にとっては全くであろう。
私の世代の友人と、安井かずみの話をしたこともないから、私だけが知らないわけでもないはずだ。

彼女は日本の歌謡曲全盛時代の売れっ子作詞家で、それによって莫大な財産を築いた人でもある。
「作詞:安井かずみ」という文字を、テレビで見た記憶はある。本を読んで知ったが、沢田研二の「危険な二人」とかアグネス・チャンの「草原の輝き」とか他にもいろいろ、世代を超えて知られている歌の作詞も手掛けている。なんと彼女が生涯書いた詞は4000曲だとか。
私の両親は歌謡曲を全く聞かなかったので、育った環境に歌謡曲というものがない。テレビをつけて歌手が歌謡曲を歌っている。。。という場面がない。日本人のほとんどが観るという大晦日の紅白歌合戦も、家族で観たなんて思い出は一度もない。
私の環境も特殊なのかもしれないが、そんなわけで「安井かずみ」はかなり遠い位置にある。
だが、歌謡曲にどんなに疎くとも、「草原の輝き」は遠足の歌集に載っていたし(先生がアグネス・ファンだったのだと思われ)、小柳ルミ子の「私の城下町」なんて曲は知っている。
歌謡曲も知らないし、カラオケも嫌いなので、友人とカラオケに行くなんて経験も数えるほど(アメリカで何度か行ったくらい)。付き合っていた彼氏とカラオケボックスに行く、なんてことは皆無だし(カラオケボックスが趣味な人とは交際相手にはならない)、そんな歌謡曲オンチの私が、歌謡曲抜きにしては語れない「安井かずみ」の本を読んだ感想、ということで読んでもらいたい。

安井かずみが「彼女」、すなわち女性だということもこの本を読むまで知らなかった。というか、彼女について考えたこともないから当然だ。
小学生の時の担任の先生が「かずみ」という名の男性だった。クラスには「かずみ」という女の子も居た。だから「かずみ」という名は男でも女でもある、というのが私の頭に小さい頃からあったので、「安井かずみ」はどこかで男性かも、と思っていた節もある。

彼女は成功した作詞家だけでなく、当時(60〜70年代)のファッションリーダーで、雑誌のカバーも沢山飾り、彼女の生活ぶりが雑誌で特集され。。。なんてことは、全く知らない。
この本で、ストレートのボブカットに最新のファッションに身を包んだ安井かずみに初めてご対面した。
当時の突っ張った雰囲気とか、気張っている感じとか、頑張っているふしも「時代なんだなあ」と感じる。それは「古臭い」という見下した感想ではなく、どちらかというと「愛おしい」という感じ。どんな時代も愛おしい。自分が育った時代にはないもの、それは感慨深い。
だけど、その時代に憧れるか?といったらそれはノーである。

安井かずみにはすごい美学があって、それは作詞のセンスとか生活ぶり、生き方にも表れる。
だけど彼女の美学には、読んでいても共感出来ないのである。私にも、安井かずみほど大層なものではないが、美学がある、と思っている。「美しいか」「美しくないか」で行動や人生の選択をチョイスしてきたところもある。美しくないことはしたくない。誤解しないでほしいのは、「無様なもの」や「汚いもの」が「美しくないもの」ではない、ということだ。そのラインというか美意識については、個人の価値観に委ねられるので、私は私の価値観なのであるが。
まず最初に、安井かずみの美学で「私とは根本的に違うな」と思った点。それはなにかに「憧れる」という彼女の姿勢。
彼女は、自分が憧れていたフランソワ・サガンを真似る。着こなし、雰囲気、話し方。。。憧れて憧れて、真似る。それが彼女にとって「華麗」なことなのでもある。
情報もない、ファッションリーダーもいない時代において、いくら誰かの真似でも彼女は日本では新しかったし、誰かに必死に憧れている彼女自身が、日本中の憧れの的になった。

しかしこれは、「情報もない、ファッションリーダーもない」時代の仕方ないことなのか?とふと考える。誰かの真似をすることや、憧れることは、時代には関係ないのだ。
どんな時代においても、何かに憧れない人は沢山いる。人の真似をするのでなく、独自のものを作りだせる人こそ本当にカッコいいと私は思っているので、彼女のガチガチに「憧れて真似して目指した」ファッションや生き方は、聞いていて(読んでいて)こそばゆいのだ。
「憧れる」というのと「ステキだな、と思う」ことは違う。
「ステキな人だな」と思うステキな人間は、世の中に沢山いる。だけど私は憧れない。なぜか?まず、「憧れる」ことがカッコ悪いと思っていることもあるが、その「ステキな人」は私と全然違う人間なのだよ。全然違う人間の、シャツの着こなしとか、洗い立ての髪の動作とか、そういうの真似てどうする?とかって冷めて見てしまう(これは若い頃から)。
安室奈美恵が全盛期だった頃、世の中には彼女のような格好をした女の子が日本中にゴロゴロいた。安室ちゃんのようなスタイルと顔を持っていない人があのファッションをするとどうなるか。それは大変なことになる(その「大変!」が多かった)。だが、スタイルもよくて似合っていればそれでいいのか? 「まあ大変!」の部類よりは似合っていていいとは言えるが、何かに必死で憧れて真似て目指す精神性においては、両者の間には差は無い。
本当にステキな子は、流行りとも関係なく自分に似合う格好をちゃんと見つけている。眉毛が細いとか太いとかの流行に左右されず、自分の顔にあった眉をちゃんと把握しキレイにしている子。自分の手足の長さや容姿を把握してお洒落をしている子。

安井かずみが可愛いところは(大御所にこういう言葉はどうかと思われるが)、これだけ美学がある人なのに「憧れて」という言葉を連発しているところだろう。憎めない。
この「なにかに憧れる」というポイントだが、安井かずみを時代のロールモデルとしていた人たちも、この「憧れ族」なのだ、やっぱり。
林真理子という作家の本はほとんど読んだことがないのだが、彼女が南青山に事務所を持っていた時代、よく骨董通りで彼女を見かけた。
高級女性下着を扱うブティックがあったのだが、そこで買い物をした彼女が両手いっぱいに大袋を下げて歩く姿とかあった。
その林氏が、「安井かずみがロールモデルだった」とこの本に書いてあった。2人の共通の匂いはある。なにかに「憧れて、憧れて」という点。そしてその「憧れ」を、隠しもせずに「真似てます」と言ってしまう可愛い点。
2人のもう一つの共通点は、自分の金で稼いで贅沢をする、という点。それも飛っきりの贅沢を。これは立派だ。誰もが真似出来ることではない。
贅沢だけがご褒美ではなく、経済的な自立は人間を自由にする。
だけど、パリのシャネル本店で服を作るとか、結局贅沢ってそういうことー?って思ったりもする。
「憧れていない」人だったら、金持ちの誰もが着ているシャネルになんぞ興味はなく、自分だけのデザイナーを見つけるはずだ。70年代と違い、才能あるデザイナーがわんさかいる時代なのだし、それを発掘するだけの経済力が備わっているのだったら特に。

この「憧れ体質」は、彼女(安井かずみ)が30代後半で結婚する加藤和彦との生活の中でも発揮される(私は加藤氏のことについても無知でしたが)。
彼らの贅沢な暮らしぶり、デザイナーズ家具で埋められたインテリア、高級ワインに本格的な料理、ハワイの高級別荘での夏冬の長期バカンス、映画に出て来るような白と黒のメイド服を着たメイド、メイドに「マダム」と呼ばれる生活、年4〜5回の海外旅行、マキシムでの食事、毎日家でも夫婦で正装して食事する。。。。などなど、とにかく二人はその時代に憧れられた存在だったらしい(こういうのに「憧れる」時代、ってのもすごいが。。。)。
雑誌で特集されても、「これは雑誌向き(表向き)ね」というのが普通だろうが、周囲で見て来た人間に語らせても実生活も雑誌そのままだったらしいから恐れ入る。

すごい虚栄心だなあ。。。夫婦揃って。。。。と思って読んでいたが、2冊目に読んだ加賀まりこのエッセーで安井かずみのこの結婚生活ぶりについて「素敵の自転車操業」書いてあって「上手い!」と思わず唸ってしまった。
実際に安井かずみの生活を見ていない人が、しかも彼女のことを男だか女だか知らなかった私があれこれ言うのも憚られるが、彼女の「親友」だった加賀まりこがそう見ているのだから、私が抱いた感想も安心して自分の中に受け入れられる。
「スノッブな価値観」「虚飾めいて見えた」。。。とここまで言えるのは、加賀まりこの裏表のない人間性と、本当に近くで見て来た親しい間柄だからであろう。

「安井かずみがいた時代」という本は、安井かずみと関わった22組の人物にそれぞれインタビューした内容だ。
安井かずみに憧れていた人もあり。尊敬していた人もあり。仕事仲間、相談相手、元恋人、いろいろ。
その中で一番鋭いなあ、と思ったのは吉田拓郎。
安井かずみは歌謡曲全盛時代の、歌手に作詞を提供する人。吉田拓郎は、その時代の後の人。いわゆる、シンガーソングライターの時代の人で、自分で作って自分で歌う人というのは、作詞家産業を廃業に追い込む人たちなわけだ。だから敵対する立場でもあるのだけれど、拓郎は安井かずみに可愛がられた。
彼も安井かずみの結婚生活ぶりを間近で見て来たわけだが、その感想が率直で一番的を得ているんじゃないだろうか(加賀まりこはこの本には登場しないのだが、拓郎の観察眼も加賀まりこ並だ)。
吉田拓郎なんだから当前だと言ってもおかしくないが、当時日本一ゴージャズなカップルとして憧れられていた彼らに、空虚さをはっきりと感じ取っていたのだ。
「絵的におかしい」「家はまるでホテルで、全く生活感のない空間」「関係を維持するために、必死になって共通の話題を作っている」。。。
彼らの家に泊まったとき、安井かずみが「朝ご飯よ」と言ってパンケーキを焼いて持って来てくれたらしい。「おまえんちは朝からこんな甘いもん食ってんのか!」って拓郎の反応が超笑える。相手が西欧人なら分かるけれど、夫婦共に日本人で日本に暮らしていて、朝から「はいパンケーキよ」って、そりゃーちょっと無理があるように他人には思えるだろう。今はともかく、あの時代にホットケーキじゃなくてパンケーキって(笑)。だけど、「市販のパンケーキミックス」だったらしく(紀伊国屋あたりで購入してたんだろう)、本当のグルメ生活目指してるんなら、市販のミックスなんて使わないはずだけどなあ、と首を傾げたくなる箇所も。結構、突っ込みどころは多いのだ(笑)。

安井かずみのお母さんは着物しか着ない人だったらしく、安井かずみの全身ヒョウ柄とかイブサンローランのファッション写真を見ているとちょっと想像できない。ファッションに敏感な女性って、お洒落な母親から影響受けたりするものだから。
娘(かずみ)の過労を心配して、職場にお母さんがキンピラを作って持って来たりすると、彼女は「カッコ悪い〜」と言っていたそうだ。
母親手作りのキンピラで育った人間が、庶民じみたものを一切排除したゴージャスな生活をする。そもそもそこから無理がある。
しかし、求めた物がそこで、それをやり通すというのもありなのであろう。誰に迷惑もかけず、贅沢は自分の稼ぐお金でするのだから。そういうスタイルもあるってことだ。
「カッコよさ」を求めるのがカッコいいことなのか、カッコ悪さも隠さずに行きていくこと(安井かずみには耐えられないだろうが)がカッコいいのだろうか。
人間、長く生きないと出てこない答もある。長生きするのなら、後者じゃないと息が持たない、とも思うし、いずれ本性バレて余計にみっともない、ということにもなる。
安井かずみは55歳で亡くなる。ゴージャスなまま逝けたのだから、彼女にとっては幸せな人生だったのだろう。

〜続く〜





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