読書感想文(3)「孤独」「時代」「夫婦」について

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 20.2013 日々あれこれ
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前回からの続き。



時代と共に古くなる人もいれば、時代を超越して人に影響を与える人もいる。どちらがいいと言うのではないが、安井かずみというのはまさに「その時代」にピッタリと生きた人なのだと思う。
だから本のタイトルも「安井かずみのいた時代」なのだ。

「カッコいい」女性というのはあらゆる時代にあらゆるタイプがいて、例えば婦人解放運動家で著名な加藤シヅエさんなんかもそうだ。奇しくも、加藤シヅエの娘である加藤タキと安井かずみは親交があった。全然接点のないタイプの二人にも見えるが、ハワイの別荘のご近所さんだったのだとか。
彼らは、「ご近所さん」でなければ接点などなかったはずだ。安井かずみ&加藤和彦夫妻と、加藤タキ&建築家黒川雅之夫妻とは全然違うタイプの夫婦だ。実際に黒川氏は、安井夫妻の六本木の家を「ガサガサしたお化け屋敷のような家」と言っているし、「およそ僕の世界じゃない」とも。
自分たちの美的センスに絶対な自信を持ち、ファッションリーダーとしての自負もある安井夫妻にとっては、耳に入れたくない言葉であろう(二人とも亡くなっているから、インタビュアーを受けた人たちが率直に話せているわけだ)。

だが、美意識や価値観がこれほど違う人間たちとも付き合える安井かずみという人物はすごいと思う。そういう人をも惹き付けるというよりも、安井側が広く受け入れるのだろう。
実際、彼女は若い頃から、その日にどこかで会った知らない人までよく家に連れて来てパーティをしていたらしい。加賀まりこが、「そういう連中」と馬が合わずにパーティから疎遠になっていったようなことも書いていた。

安井かずみの人の受け入れ方は、彼女が生まれ持った懐の深さもあるだろうが、どうしても埋めようのない孤独感や寂しさが根底にあるような気がしてならない。
彼女の交友関係はあらゆる世界、分野に通じていて、その人脈の広さは本を呼んでも驚くばかり。
そして、周囲の人たちからの、パーティやら遊びやら(もちろん仕事もだが)の交友ぶりの話も驚く。
孤独だけれど寂しいとは思わない人間がいる一方、いつも沢山の人に囲まれているのに寂しい人間もいる。彼女は後者なのだ。
そういうのは性分だから、「孤独を愛せ」とは言えない。寂しい人には寂しさを癒してくれる人がつくのだし、それが人それぞれの人間関係なのだし。

彼女は30代後半で加藤和彦と再婚してから、多彩多数の交友関係から、二人の生活に重心を変えて行く。毎日のように会っていた仲間たちとも、急に疎遠になっていったという。
彼女の色んなパーツをそれぞれに支えて来た多数の人間が、一人の人間に委ねられるのだから、加藤和彦の彼女の受け入れ方は尋常な深さではなかったことは想像がつく。大変な仕事だとも。

彼らの夫婦関係や生活ぶりには、見て来た親しい人たちから厳しい批判もある。
だが、安井かずみが肺がん宣告をされてからの最後の1年間の夫の看病ぶりには頭が下がる。ワガママで、寂しがり屋の彼女のために、彼は仕事を一切やめて、看病一筋に専念したのだ。
余命いくばもない人間の希望を出来る限りかなえてやりたい、と思うのは誰でも同じであろうが、実際に看病をする人の立場は大変なものである。いくら財産があっても、お金で解決出来るものでもない。
愛する人を失くす心労も大変なものだが、例え愛する相手でなかったとしても、死に向かう人間を献身的に看病することは容易い仕事ではない。その壮絶な看病を、彼はほとんど一人でやったのだ。

彼女が亡くなってから一周忌も経たない内に、彼は別の女性と結婚して世間を驚かせた。安井かずみが可哀想、と言う人も多かったが、彼の献身ぶりを目の当たりにしていたひとたちは、責めることもできなかったという。
彼女が亡くなってすぐに、家にある彼女の物は全てゴミに出されたり。写真の一枚も残さずに処分されたらしい。
彼にとって、安井かずみとの関係は彼女の死で終わったのだ。燃焼して完結。そういう関係もありだと思う。
寂しがり屋の安井かずみにとっては、そういう「処分」のされ方はたまらないだろうが、死んだ人間よりもこれから生きて行く人間の方には、一分一秒でも長く幸せになる資格がある。少なくとも、心が休まる場所は必要なのだ。
新しい再婚相手とは、安井かずみが生存中から知り合っていたとされる。もし、心の方が新しい女性に移っていたとしても、妻ががん宣告をされてから、ケジメをつけて最後まで妻に付き添おうとした態度は立派じゃないのか。そう決めたときから、彼の中では彼女が亡くなったときに燃焼したのだ。燃焼すると、未練とか思い出とか形見なんていらないのだ。
男と女なんて、元はただの他人なんだから。人生の中で濃い15年を一緒に過ごすことは特別だけれど、終わってみれば「たかだか15年一緒に過ごした間柄」なのだとも言える。

一つ、この夫婦の物語で美しいのは、やっぱり最後なんじゃないかなあ、とつくづく思った。
華麗なる生活を謳歌して、夫婦揃って正装して夕食をとっていた毎日よりも、どうしようもなく弱まっていく妻と、それを見守る夫の日々。
ある人がお見舞いに行ったとき、「着ていたものが売店で売られているような浴衣の寝間着だった」と書いてあった。シャネルだのイブサンローランだののオートクチュールを身に着けることがスタイルだった人間だって最期弱まれば、病院側が看護しやすい都合のよい寝間着に着せ替えられちゃうわけだ。ワガママ通してきた人間も、病院では通じないのである。ファッションや形に重きを置いて来た人種にとっては、それは一番哀しいことに違いない。だけど、そういう人間がそういう哀れな自分の姿、すなわち他人には一番見せたくない姿を見せられ、受け入れるのが夫婦の関係というものだろう。ワインをTPOに合わせて神経質なほどまでに選んできた人間が、最期は与えられるがままの病院食をやっと食べられるか食べられないかになるのである。
「虚飾めいた」姿も、「スノッブな価値観」も、捨て去った(彼らの場合、最期で捨てざるを得なくなったわけだが)ときの人間関係。それこそ本物の信頼関係。

「時代にそって、現代を生きていなければ、いい女とは言えなくなってしまった。。。。(中略)」と安井かずみ自身が書いている。
うーん。。。そんなことないんだけどな。いい女とは、時代に関係ないと思う。

どんな人間にも、時代が与えてくれる環境というのがあるのだから、時代とは切り離せないと思う。
だが、どうやって生きるかというときに、まず「時代」を先行させてしまうと、時代の移り変わりによって自分を見失ってしまう。時代のリーダーだとか言われても、人間一人の力で時代なんて作れないのだ。自分が予想もしない方向に時代は変わって行く。
自分がどういう人間になりたいのか、という根本的な問題は、時代には関係ないはずだ。時代によってやることは変わって来るだろうが、どういう人間になるのかは変わらないはず。時代に左右されない人というのはそういう人であって、時代の先取りをしているという感覚も、時代に取り残されたという感覚も持たないで生きる。
そういう人が「いい女(男)」だと私は思うので。
時代にそった生き方をすれば、「大成功」が待っているかもしれないけれど。

安井かずみを知って一つ言えること。時代をちゃんと意識して、それにピッタリ合わせる努力をして自分の才能を開化させる人間は金持ちになれる、ということ(笑)。
時代を意識しない人間は、同じ才能を持っていたとしても、金持ちにはならないだろう。そもそも後者は、お金に価値観を置かない人種だとも言えるが。

この本、色んな登場人物が出て来るので、それぞれの色んな生き方を見ることができて楽しい。
インタビューに答えるだけでも、その人となりが表れるし。同じ時代を生きた安井かずみとの対比としても、非常に興味深い。

〜続く〜(まだ続くんかっ!?)
次回は「番外編」



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