セールスマンの死

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 04.2014 映画よもやま話
phillipseymore1.jpeg



昨日、雪景色の中車を運転中に、ラジオで俳優フィリップ・シーモア・ホフマンの死を知った。
「セールスマンが本当に死んじゃったんだ」と思った。

フィリップ・シーモア・ホフマンという役者のことで、今でも後悔していることが一つある。
2年前にNYに行った時に、ブロードウェイで彼が主演の「セールスマンの死」が上演されていた。
アーサー・ミラーの名作戯曲。老セールスマン役に、まだ40代半ばのホフマンは「若すぎる」と言われていたが、「とにかく素晴らしい」「今までの上演の中で一番いい」などと大評判になっていた。
写真はその時の劇場。
「彼の舞台を観たいな」と思いつつ、なにしろあの重い戯曲はこちらの体調&精神状態が元気でないと耐えられない。酷暑が続くNY中を歩き回って撮影する毎日で、夕方はいつも疲れきっていた。観劇の余裕が持てず、結局観ないで帰って来た。
その後何度も、「一日それに合わせて観るだけの価値があったのにな」と後悔した。でも心のどこかで、またホフマンが年をとったときに、再上演されるだろうな、と確信していた。彼の当たり役の一つであろうから。
だけど、人の死というのはこのように、突然予定もなくやって来るのである。



phillipseymore2.jpeg



フィリップ・シーモア・ホフマンのファンだったかといえば、そうではない。ファンではないけれど、「すごい役者だなあ」と一目置かずにはいられない別格の役者。オスカー受賞者だけれど、スターとはかけ離れた、本物の「役者」。
きっと街で彼が歩いているのを見かけても、周囲の人の方がよほどオーラを放っているだろうと思われる、風采の上がらない、髪の毛ぼさぼさでどこか小汚く、太った神経質そうなおっさん。
だけど彼が映画に出ると、どんな脇役でも強く印象に残る。

「ブギーナイツ」でも「マグノリア」でも「25時」でも「リプリー」でも「マネーボール」でも、「スター俳優」たちと全く違った味をかもしだし、彼らを引き立てる役もしっかりこなし、自分の足跡もしっかり残す、並々ならぬ役者ぶりだった。
先日ちょうど、「ワーキン・フィーニックス(ホワキン・フェニックス)っていい役者なのに、オスカー取ってなかったよね」という話になって、「ウォーク・ザ・ライン」で取れないなんて、その年は誰が受賞したんだ?と思って調べたら、「カポーティ」のホフマンだった。そうそう、そういえばそうだった。
「カポーティ」だったら仕方ない。ノミネートされた他の俳優たちは、あの年に競わなくてはいけなかったのは不運だった。

車のラジオでホフマンの死のニュースを聞いたとき、まだ死因は発表されていなかった。
46歳という年齢は、「まだ若いのに!!」と驚くほどの若さではないけれど、だからといって老人ではない。彼は太っていたから、心臓発作(アメリカ人に多い)か自殺かな、と思った。彼はストイックで役にのめりこむタイプだし、どんな成功を手に入れても「悩み」から解放されることはないだろうから。
ところが、ODと聞いて驚いた。ヘロイン中毒だったらしく、発見時に針が腕に刺さったままだったとか、痛々しすぎる。

自殺ならば、まだいいと思う。残された人は悲しいけれど、本人には少なくとも「死にたい」という意志があったのだから。
だけど、ODというのは哀れだ。なぜなら、本人は「生きよう」と思って薬をやっているわけだから。一生懸命生きるために、完璧に仕事をこなすために、喜びを手に入れるために、薬物に頼るのだ。その結果の死というのは、本人が望んでいるはずもなく、とても哀しい。

再び薬物中毒にならなくてはならないほど(彼は20代のときに中毒だったが、23年間断っていた)の不安と弱さ。
彼ほどの才能は狂気ともいえるが、壊れやすいガラス板の上に乗っかっている芸術作品だったのかもしれない。

彼はどちらかというと舞台俳優だが、舞台は再現不可能なその夜限りのマジック。幸い、数多くの映画という形で彼は遺産を残してくれた。
ただ彼の引き出しはまだまだあったはずで、それを観てもう新たに驚くことはできないのだな、と思うと残念だ。



料理ブログ「アメリカ・無国籍食堂」も更新しております。どうぞよろしく♪
最近のメニューは、オレンジパンケーキなどなど。




『黒人コミュニティ、「被差別と憎悪と依存」の現在』高山マミ著
亜紀書房より去年発売されました。
Amazon
ビーケーワン
丸善&ジュンク堂
楽天ブックス
セブンネットショッピング



『ブラック・カルチャー観察日記』高山マミ著 
全国の書店で好評発売中!!
Amazon
スポンサーサイト