ゴーストランチ/Thanatos

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 08.2014 Santa Fe, New Mexico
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画家、ジョージア・オキーフがくり返しモチーフにしたアビキューとゴーストランチの風景。
これはアビキューへ向かう途中にあった、小さな教会の廃墟。


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私は廃墟が大好き。かつては美しく誇らしく建っていたのだろうな、と思わせる建築物の廃墟。
廃墟は退廃的だから。
人間が命をかけて作り出した物の、行き果てた姿。


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捨てられた物は哀しい姿の中に、かつての威厳を残す。
着飾った現役が絶対に捨てられない物を、廃墟はさらけ出しているところが美しい。

退廃とは、道徳的に乱れ、不健全であることも指す。これはエロスそのもの。
退廃的なものに美を感じるとは、それだけで罪でしょうか。



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運転していると、ゴツゴツとした岩肌の山が見え始める。アビキューの荒野。

前回の記事から続くが、エロスの追求は、結局やっぱりタナトス(死)に行き着く。
エロスが生への欲求なら、タナトスは破滅への欲求。
この二つ、陽と陰、光と影のように裏表ではなくて、一元なのだと思う。私にとっては、相反する物ではなくて根源が同じ。
タナトスの破壊力は、エロスのためにあるのではないだろうか、と。

生み出されたものはいずれ壊れ、崩れ、あるいは壊され朽ちる。
廃墟(死)が美しいのは、エロス(生)のせい。
屋根のない青空教会にて、再認識。


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エロスへの欲動が強いほど、死への衝動も強い。
優れた芸術というのは、究極この二つしか表現していない。
そもそも芸術とか文学というのは、強い欲求を抑えるために変形したもの。

人間が生まれ持った本能。
このエネルギーを、人は理性や倫理観や防衛本能や適応能力において、他の物に変形させる。
適応させないと、世の中大変なことになっちゃいますからね(笑)


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オキーフは、写真家の夫に女性関係やらなんやらで結構振り回されたらしいが、彼女は自分を見直して立ち上がる逞しさを持ち合わせていた。
対照的に思い浮かべるのが、同じ女性芸術家のカミーユ・クローデル。ロダンの愛人。
あれほどの才能に恵まれた彼女なのに、時代的に女性であるが故に評価されず、ロダンにその若さと美貌をミューズとして利用され、彼女自身は40代後半で精神に異常をきたし発狂していく。
美しい女性であるが故に背負った不幸続きの人生。


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ただ、狂うのも、一種の才能だと思う。
人間は、かなり辛いことや悲しいことを経験しても、そう容易く狂わないし、死にもしない。
狂わないたびに、自分の図太さを認めざるを得ない。狂える人間ほどの繊細さを持ち合わせていない、ということ。
発狂できない人間は、自分の行いを認識しながら生きるしかない。結構しんどう作業です。


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「性の欲動」を中核とする「生の欲動」は、本質的に結合と創造の建設的なパワー。
「死の欲動」は、生きることの緊張としんどさからの解放。無機状態への回帰を目指す力。自己破壊衝動や「狂う」ことも、これによる。

エロス(生)とタナトス(死)。普段は融合しあっているこの二つ。
人間には、自己を破壊しようとする傾向(自殺、自傷)を持ち合わせている。それが「性の欲動」と結びついた場合、サディズムやマゾヒズムとなり。
あるいは自己を破壊させないために、攻撃対象を外部に向け、人を破壊させる行動に結びつくこともある。
またあるいは、芸術・文学活動にそれを昇華させ、表現により抑圧を解放させる。

人間の行動は結局全て、このエロスとタナトスの結合的作用にほかならない、と言っても過言でない。


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ところで、タナトスは破滅への欲求なのだが、死というのは「無」へ帰る行為。
「無」というのは、一番安心できる平安な場所。死の本能とは、安定への欲求なのだ。

生も無から生まれる以上、生と死は同じバランスで成り立っていてもおかしくない。
生への欲求があるのと同じくらい、死への欲求があってもいい(世の中、死への欲求が否定される傾向にあり、私は大いに不満なんですが)。
生きる理由と同じ数だけ、死ぬ理由だってある。

事実、我々人間のほとんどは、生を受けてから惰性で生きているんじゃないかと。
これは自問であります。



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この赤く乾いた大地でオキーフは98歳まで生きる。
自分を破滅に追い込まない限り、人間は自分でも最後まで分からない年数を生きるということだ。
医者に死の宣告でもされない限り、今の時点で、あと何年かなんて誰も分からないわけだ。
これって考えただけでしんどくないか?

自分の人生の長さくらい、自分で決めたいよねえ。
破滅以外で決められないところに過酷さがある。試されている?
自分の命に勝手に見捨てられたり、死にたいのに引き止められたり、それはそれは残酷ですよ、生って。

タナトスの破滅エネルギーよりも、エロスの方が残酷。


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それでも紅葉が綺麗だなあって。これが生のポジティブさ。
しかしいつかはこう思っていることも「無」に帰るのだ。だったら今の存在にはなんの意味がある?

せめて死ぬ時には、以下のように思って最後を迎えたいものです。
タオス・プエブロ・インディアンの詩。

Today is a very good day to die.
Every living thing is in harmony with me.
Every voice sings a chorus within me.
All beauty has come to rest in my eyes.
All bad thoughts have departed from me.
Today is a very good day to die.
My land is peaceful around me.
My fields have been turned for the last time.
My house is filled with laughter,
My children have come home.
Yes, today is a very good day to die.......



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さて、お腹が空いたのでなにか食べよっと。
これが生(笑)



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