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Fury /フューリー

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 19.2014 映画&ドラマよもやま話
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日本では今公開されているらしい、ブラッド・ピット主演の戦争映画、フューリー。
私は当然戦争オタクでも戦車マニアでもないのだが、なぜか観ちゃった、この戦車映画。そう、戦争映画というより、「戦車」映画。
実際、主役はフューリーと名付けられた、アメリカの戦車シャーマンである。
ま、あまり女子が好んで観に行かない映画だと思います(笑)。

1945年の4月。ドイツ。
この数字を見ただけで、死体と瓦礫と炎を思い浮かべるほど、世界中で戦争が泥沼化していた時期。
「この戦争はもうすぐ終わるけど、終わる前にもっと人が死ななきゃいけない」なんてセリフが出てくるが、犠牲者の数をもっと出さないと終戦できないという異常さ(この後の戦争でも繰り返しますねえ。。。)。

フューリーに乗る5人の兵士を中心としたドラマ。
軍の位の呼称って全然分からないのだけれど、ブラピ扮するのが陸軍のStaff Sergeant。陸軍最上級曹?
そこに新兵ノーマンがやってくる。戦場経験なし、特別な訓練も受けていない若者。こういう若者が、いきなり激戦区へ送られるという、なんでもありのめちゃくちゃな終戦間際。
ノーマンは初日銃も握れず、捕虜のドイツ兵を殺すことなど間違っていると「まっとうな」ことを言っているのだが、翌日から戦車に乗り込み、仲間が爆撃にやられるのを目の当たりにするうちに、短期間で変わっていく。「殺らなければ殺られる」という論理は言葉では飲み込めないが、狂気の戦地ではそれが常識であり、「生き延びたい」という本能を否定しない限り、相手に銃を向けるしかない。
ノーマンの若さとか生命力とかが象徴的に描かれていて、そこだけに明るい未来を感じさせらる映画。そして「戦争経験」というのは、普通の人生の10年や20年をかけて経験し年を重ねるところを、たった数日や数週間で経験してしまう酷なもの、ということも改めて感じさせる。

向かってくる敵を撃ち落とさなければならない人間も愚かだが、敵地の人間と恋に落ちるというのもどこの国でもあることで、これも人間の性。
政治・軍事だけで人間が動いていたら地球は悲惨なものであり、わずかだろうが双方の蟠りを溶くものって恋愛なり。
ただちょっと、女性目線から一言。
アメリカ兵に家を侵入されたドイツ人女性二人。恐怖で怯えて、アメリカ兵は憎悪の対象のはずなのに、若きノーマンがピアノを弾いて共感して感動したからって、すぐにベッドに行くって。。。どう?
兵士には時間がないですから、ノーマンの気持ちは分かります、男性だし。だけど若いドイツ人女性の立場で考えると、いくら戦時中といえどもそんなスピードで盛り上がれる(しかも相手は汗や泥で汚れた兵士。キュートだけどアメリカ兵だぞ)状況に、疑問。
ハリウッドの戦争映画はほとんど男性が作り手なので、現地の若い女性を美しい理想像としてロマンチックに描いたりしがち。すっごい男性目線。それとも、戦地の兵士たちの目には、現地の女性が実物以上に美化されて映るものなのだろうか。それはきっとあり得るだろう。他の状況で出会えば大した相手じゃなくても、戦地だけに「すごい出会い」になって忘れられなくなる、っていう。

クライマックスの見どころは、フューリーの乗員たった5人で、ドイツ軍の先鋭部隊約300人を迎え撃つという超無謀なシーン。
地雷を踏んでタイヤが故障したフューリーを見捨てて逃げるのか、あるいは戦車に引きこもって戦うのかの二者選択。当然物語のソルジャーは戦うわけで。

ヘルメットなしで外に出て打ちまくるウォーダディー(ブラピ)を観たときは、「これで弾が当たらなかったら奇跡」と思っていたが、案の定撃たれてしまう。
ただ実際に、戦地には流れ弾にも当たらないような信じられない兵士がときにいるそうで。
「地獄の黙示録」でも、そんな中佐をロバート・デュバルが演じていた。弾丸が飛ぶ中ふらふら歩いていても平気な独特なオーラの人間。こういう人間は絶対にいるんだろうな、という存在感。

生死との境を経験してのノーマンの成長はとてもいい。
だけど「やっぱりハリウッドよね」と思ってしまうのは、タンクの中に手榴弾を投げ込まれたのに、全然死体が(顔も)綺麗なまま死んでいるブラピとか(苦笑)。バラバラにならないなんてあり得ないでしょう。。。 え?ブラピをバラバラにしちゃいけないって?
それに比べると、火だるまになって苦しんで死にゆく中、最後の力で自分で拳銃を頭に打ち込み自殺する兵士はリアルだったりする。

再度申し上げるが、私は基本的に戦争は嫌いな人間です。
無くて済むなら無い方がいい。
ただ残念なことに、今わかるのは、50年後も100年後も世界のどこかで人間は戦争を繰り広げているだろう、ということ。
話し合いだけでは分かり合えない平行線の価値観が世界には山ほどあり、価値観の違いはどちらかが一方を否定できるものではない。言葉で分からなければ武力に及ぶ。やられたらやり返す。この単純な戦いを人間は規模の違いこそあれ繰り返す。
「武力ではなく」という理想も、若い時は信じていたけれど、話し合いや歩み寄りがどう努力してもダメな関係におかれている人間たちが、結果的に暴力的になるほど我慢し続けているストレスも理解できてしまう今は、それも否定できないのが現実。
人間には残念ながら記憶力というものがあり、過去の汚点も消すことができないし。
ウォーダディー(ブラピ)のセリフにもあるけれど、「Ideal is peaceful. History is violent」なのです。

本物の戦車というものは見たことないのですが。。。
学生の頃ロシアのモスクワに行った時、中心地を貫く通りという通りの道幅が異常に広いことに違和感を覚えた。
理由は、「戦車がいつでも通れるため」。
戦車規格で道路を作っている市街地ってそうそうないと思うけれど、チベットのラサもそう感じた。中国政府は、いざとなったら戦車で踏み入れる魂胆なのだろう、と。
戦車というのは恐ろしい威圧感を持っていて、あんな鉄の塊が通りを走ったら、それだけで侵略された側の人々は負け犬のように背中を丸めるしかない。

「最初は(戦地でも)ジェントルマンであろうとした」と言っていたウォーダディー(ブラピ)が今は全然違うのも、背中の無数の傷(おそらく拷問による)が全てを語っていたりする。
乗員の一人であるボイドの、若いノーマンに言うシビアなセリフ。
「(See) what a man can do to another man」
男が他の男に、言葉にならぬほど残虐な行為をできるようになるのが、兵士であるということ。それが戦争。

何度も繰り返して観ている戦争映画もあるのだけれど、この作品をもう一度観るかといえば観ないだろうなあ、というのが正直な感想。
人間一人一人の描き方は、上出来の戦争映画に比べるとかなーり甘い。兵士でなくて、戦車が主役の映画だからと言ってしまえばそれまでですが。




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最近のメニューは、「鶏レバーパテのクロスティーニ」などなど。



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