パリ18区(モンマルトル)vol.3

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 27.2016 Paris, France パリ
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モンマルトルの続き。
モンマルトルに抱くイメージで切り離せないのは、モンマルトルで生まれでモンマルトルで亡くなった画家、モーリス・ユトリロのモンマルトルだ。


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ユトリロの絵に描かれた建物や小道が、そのまま残る光景に出会えるのは、とても贅沢なこと。

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この建物は今はレストラン。
ここでも朝のコーヒーを。 これだけ有名な場所なのに、朝一は観光客が誰もいない。店内一人です。
しばらくしてから、10人ぐらいの団体さんがどかっとテラス席に座りましたが(笑)


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ユトリロがこの道を歩いていたんだなあ、と感慨に耽りながら時間を過ごすのにはとてもいい時間といい空間。


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メゾンローズと呼ばれる、三角形の家。
ユトリロのアトリエだったところ。


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ベルナール・ビュフェが描く、メゾンローズ。モンパルナス美術館で見られます。


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この辺りの白い建物が目に入るたび、ユトリロの絵を思い出す。
子供の頃すごく好きだった、ユトリロ。ユトリロの絵は郷愁に近く、昔読んだ絵本を思い出すような感覚にとらわれる。非常に懐かしい。画風もその風景も、とても惹かれるものがあった。
若い頃は常に新しいものを求め、一度通ったものは繰り返さず(リピートするということが嫌いだった)、後ろを振り返らずに(振り返る暇などなかったとも言えるが)前に前にと進んで生きていたと思う。だが人生折り返し地点を過ぎると、好みが回帰するという現象を何度か味わい、それも悪くないと思ったりする。二度目にして発見することができる驚きは、帰ってこないとできないから。見る目が変わったこと、すなわち自分の成長や変化を具体的に知るのもそんな時だ。
「今更ユトリロ?」なんて思っていた時代がある。この世には当然ながら、彼以外の画家や世界があり、絵画以外の芸術があり、芸術以外のフィールドがあり、その全てに触れることは不可能だと知りながらも、なるべく多くのものに触れようと、自分の価値観を常に壊す行為を繰り返してきた。凝り固まると吸収できないから。
ところが壊してきたようで、壊れてなかったものに気づく時が、「ああ、やっぱりユトリロっていいなあ」って思うようなこういう瞬間である。
そして壊れていなかったものは、自分の中の揺るがない芯なんだろうなあと確信する。

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「洗濯船」という元安アパート。
ピカソが5年間恋人と暮らし、モディリアニもここに住みアトリエを構えた。
ジャン・コクトー、マティスらも出入りした、文化の交流地。


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モンパルナス美術館。


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ちょうど、モンマルトルのピガール出身のベルナール・ビュフェ展をやっていて、ビュフェを堪能。
滞在していたホテルがピガールだったので、ビュフェの描くピガール風景を肌で感じることができた。


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モンマルトルのブドウ畑。
かつてはモンマルトルの丘は農村、パリ郊外のブドウ畑だった。修道女も修道院でワインを作っていた。


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ユトリロの絵で有名な、シャンソン酒場、オ・ラパン・アジル (Au Lapin Agile) 。
今はひなびた外観だが、時代の変化に流されずにこの地に残った唯一のシャンソンバー。営業しています。
無名時代のピカソやユトリロ、マティスなどが通っていた貧乏芸術家たち御用達の安酒場。


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このシャンソンバーを見たら、やっぱり中に入りたくなり、夜やってきた。
今は決して安酒場ではありませんが(笑)、中の雰囲気は安酒場そのもの。
歪んだような木の床、テーブル、椅子。そこにピアノが響く。
大テーブルに座ったシャンソニエたちが、酒場で歌うように歌い始める。客も巻き込んで。

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客は100%ツーリストですが、フランス人のグループ、シャンソンを学んでいる客なんかがいて、皆さんノリノリ。シャンソンやってる女性客は、歌手なんでしょうね、店のシャンソニエも驚くほどの美声でした。

楽しい楽しい夜でした。やっぱり行ってよかった。



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