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マイダネク(ルブリン強制収容所)

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 01.2016 ポーランド
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マイダネク。正式名はルブリン強制収容所。
ルブリン郊外にある。ここへは、覚悟して訪れた。絶滅収容所へ行くのは人生初めてのこと。
ワルシャワゲットーや博物館で十分気持ちは落ち込んでいたので、マイダネクを訪れるまでのルブリン、ザモシチでの観光は、息を整えるための休養だったと言ってもよい。その息抜きは大正解でした。


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訪れた時、ドヨーンとした曇天。
マイダネク強制収容所のモニュメント。アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所に次ぐ規模の、広大な敷地跡が広がる。
敷地跡を1周するだけで約5km。


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誰も人がいない。
正確に言えば、私の他に2組を見たが、広大な敷地なので途中ですれ違うこともなかった。
不気味にカラスの大群が空を舞う。


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収容所であった木造のバラックが並んでいる。その幾つかが開放されてあり、展示室になっている。
一人で来た私は、一人で回る。誰もいないバラックに、一人で入る。


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いきなり現れるガス室。


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薄暗い建物の中は、すのこが置いてあり、何が現れるかわからない部屋のドアが幾つか開いており、完全放置された私は自分だけの足音を聞きながら、前に進んでいくしかない。


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ショックです。
あれほど長年耳にして、想像もしてきた実際のガス室が、このように目の前に急に現れるなんて。
もっと、博物館らしく、人がいるものだと思っていたし、フェンスやガラス窓から見るような光景を想像していた。

一度に何百人がここに詰め込まれ命を奪われた。
そのガス室に、今一人きりで立っている。

小学生の頃読んだ収容所の本で、「収容所の人々は、「シャワーを浴びるから服を脱いでこの部屋に入ってください」と言われ、シャワー室に入った。だけど蛇口から出てくるのは、水ではなくてガスでした」という内容を覚えている。
その、温水ではなくガスが出てきたという多数の魔の蛇口が、私の頭上に広がっている。


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空間を見るより、上を見る方がきつかったです。
写した写真に現れている。曲がってるし、ピントが合っていない。これ以上撮れない、と思った。撮り直す事さえ無理。


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容赦なく、すのこは続く。
外の天気が悪かったのもあり光が入らず、視界も悪い。


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ガス室で大量使用された毒薬、ツィクロンB。
もともとは殺虫剤だが、戦後はユダヤ人団体からの抗議で商用に至っていない。


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数あるバラックは、このように展示室になっている。
人一人とも会わず、常に一人の状態でここを歩いていると、追い詰められる。

「こんなところによく一人で行ったね」と、人は言うかもしれないが、収容所の現実を知れば知るほど、ここに収容されていた囚人たちの生活を感じれば感じるほど、「ただ見て歩くこと」くらいなんて簡単なことなんだ、と思って歩いていた。
彼らが課された丸太を背負うわけでもなく、零下10度の真冬に薄っぺらい囚人服に素足に粗末で穴の空いた靴で労働するわけでもなく、シラミのわくベッドでぎゅうぎゅう詰めになって寝るわけでもなく、常に空腹と戦うわけでもない。
何より、いきなり家族とバラバラにされ、彼らが生きているのかどうかもわからず、自分が生き残れるかどうかも希望も持てず、絶望の淵に立たされたまま、バラックの周りにある囚人仲間の死体を横切りながらの日常というのは、正気のままだと生き地獄。


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囚人たちの靴の山。むき出し。


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バラックの中に入って展示を見ると息が詰まり、外の空気を吸いたくなる。
幸い、後半青空が見えてきたことが救いだった。ずっと曇天にカラスだと、滅入るわ。


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監視塔、有刺鉄線、バラック。。。。
こんな悲惨な場所にも、青空が広がり、美しい雲が流れ、綺麗な夕焼けもやってくる。
こんなに美しい空を、美しいと感じることもできなかった囚人たちの日常。


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1944年8月12日のソ連の通信員ローマン・カルマンの報告。
「私はマイダネクで今まで見たことのないおぞましい光景を見た。ヒトラーの悪名高き絶滅収容所である。ここで50万人以上の男女、子供が殺された。これは強制収容所などではない。殺人工場だ。ソ連軍が入った時、収容所は生ける屍になった収容者が1000人程度が残されているだけだった。生きてここを出られた者はほとんどいなかったのである。連日のように何千人もの人が送り込まれてきて残忍に殺されていったのだ。ここのガス室には人々が限界まで詰め込まれたため、死亡したあとも死体は直立したままであった。私は自分の目で見たにもかかわらずいまだに信じられない。だがこれは事実なのだ。」


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アウシュビッツでも他の収容所でも同じだが、逆にこのような絶滅収容所で生き残った1000人とか、彼らの生命力や運の強さにも驚く。
悪名高きナチスでも、絶滅させることが不可能だった。人間って、ガス室で何十万人と殺されるほど虫けらみたいな存在である一方、どんな過酷な環境や拷問にあっても、生き延びてしまう強さも持つ。
これだけの地獄を見て、それを背負って生きることは過酷だろうけれど、彼らのおかげで後世に事実が伝わるわけだ。

私が強制収容所に入れられたらどうだっただろう。
今の世の中で「逞しいよね」と言われて生きているが、収容所に送られたら真っ先にまず風邪をひき、栄養失調で風邪は治らず肺炎になり、次々に転がるように体を壊していくことは見えている。でも若かったら、病気でもなかなかくたばることができず、そのまましばらく生きながらえるが、病人で使い物にならなくなった囚人はガス室で始末されるので、おそらく収監半年以内に間違いなく死んでいただろう。ガス室の前に死んでいた可能性もある。妊娠していたら、収容所到着のその日に銃殺だ。

ここで、「希望を持つ」って一体どういうことなのだろう? おそらく、生存できた僅かな人たちって、希望の持ち方が違ったのではないかと。日々絶望と戦い、家族を失った悲しみを振り切り、何が何でも生き延びようとする力。何を目標にできるのか。
囚人生活で、希望を持ち続けることって、並大抵のことではない。
結局、生存者はやはり勝者なのだ。


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当時の焼却炉が残っている。


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死体を次々に焼却した場所。
ただ、死体の数に焼却が間に合わず、バラックの外には死体の山が常にあった。


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ここのインフォメーションセンターのリサーチセンターでは、高校生らしき学生たちが講義を受けていた。
大きな駐車場もあるので、来る時は訪問者も大勢だと思われる。

この場所にほぼ一人っきりで「呼ばれた」のは、これも何か意味があるのでしょう。
収容所の外に広がる森の始まりかけた紅葉が、目の保養となりました。




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