恋人と友達(1)

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 14.2017 人いろいろ/人間
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友達と恋人というのは関係性が全く違うので、どちらが上でも下でもない。
「友達から恋人になった」というのは、決して友達の関係から「昇格」して恋人同士になるわけではない。どうも、「友達よりも一歩上」の関係へ進んだと、人は勘違いしてしまうものなのだが。ただ、「全く別の人間関係」に移行しただけのこと。

実際、友達には話せないが恋人には話せることがあるように、恋人には絶対に話せないが、友達になら話せることがある。恋人の方が友達より「より近い」「より親しい」と思ってしまうのは、肉体関係を結ぶからなのだろう。ただそれだけで、恋人同士の方が「より親しい」ってことではない。

人間同士なので、関係には終わりがある。友達にも恋人にも。
よりハッキリと「別れ」があるのは恋人関係の方だ。なぜなら、恋人関係には友達関係よりも依存や期待するものがあり、それゆえに嫉妬や忍耐や限界などというものが生まれてきて厄介なことになる。特別な愛情があったからこそ「冷めてしまう」のである。盲目になるからこそ、見えてしまった時に幻滅し、嫌悪感さえ抱く。
友達関係ではそれは少ないが、男同士の友情などは女のそれよりももっと密な場合が多いので、期待も甘えも依存ももっと激しい。だからこそ「裏切られた」と思うことも多い。だから絶交もあり得る。
友達と絶交を経験したことのある人は、それは濃い友情関係を持っていた、ということ。殴り合えたり絶交したりできる友達は、別れがあろうが人生では貴重な存在だろう。
女には男ほどの友情はないので、期待も依存もしないし、相手を嫌いになる程近づきもしない。女友達に殴ってやりたいほど腹をたてることもない。

「絶交」を除いて、恋人関係には終止符があるが、友達関係にはハッキリした終止符がない。
かつてすごく仲がよかったのに、もう連絡も取れずにいる人のことは「昔いた友達」となる。「別れたんだけどね」とはならない。
かつて一緒に過ごした友達で、長年会ってはいないけれど、なんだかでやりとりしている友達は、まだ「友達」である。でも友達は、いつフェードアウトするかわからない。お互いに「どうしてるかな?」と思わないと、友達関係は続かない。

友達と違うのは、ハッキリと期間があるのが恋人でもある。
「去年の秋まで付き合ってたんだけどね」と言えるのは恋人で、友達関係にそういう表現はない。
恋人関係が終わって、その後「友達になる」というのは普通ない。もう会いたくない、あるいは会わない方がいい、と思って理由があって別れるのだから、友達として関係を続けるというのは普通はない。
男に未練が残っていてどうしようもない時に、女というのは「じゃあお友達でいましょうね」「お友達ならいいわ」と優しい言葉をかけてしまうことが多々ある。相手を慰めたり諦めてもらいたい気持ちで言っているのだが、これは男には通じない。若い女に犯しやすい間違いである。女にとってその時の「お友達でいましょう」というのは、「もうあなたに男性的魅力は感じません」「男として見ておりません」「恋は冷めたんです」の同意語だから。
例外があるが、実際に別れた後に友達になれる場合。それは恋人同士としての関係がとても薄かった場合のみ、だ。恋に落ちたとしてもお互い遊びだったとか、それほど深い関係にもならず、あるいは期間が超短かった時とか。男と女のドロドロした関係性を築かなかった場合のみ、友達になれちゃったりする。とてもサッパリと。

恋人と別れてから、10年20年経って友達になれることは、ある。
それは、全く会っていなかった10年20年の間に、お互いに新しい環境や人間関係が築かれていて、「他人」になっているからだ。懐かしさくらいは残っていても、未練や束縛や独占欲も持たずに目の前の相手を見て、どんなに変わっていても変わっていなくても「素敵な人だな」「面白い人だな」と思えた時に、新たに友達になれる。
それは、新しい出会いとも言ってよい。10年20年で変わらない人間などいない。その相手は自分の知っている「元恋人」ではなく、自分の知らない間にたくさんの時間を過ごしてきた人間なのだ。素敵に人生経験を積んだ相手に対しては、元恋人だろうが初めて会った人だろうが、改めて「お知り合いになりたいな」と思える。

付き合っていた恋人と別れる時に、「別れた後も友達だったらいいじゃん」みたいなことを言われたことがある。彼の言いたいことは、「何かしらで繋がっていよう」みたいなことだと思う。
「はあ?」と思った。私にとっては「繋がっている」なんて全然意味のないこと。なんのために?安心感? 親子や友達関係と違って、必ずやいつか人為的な別れのある恋人関係。家族や友達は黙っていてもどこかしらにずっといてくれるものだが、恋人関係というのは始まった時から終わりに向かっている。3ケ月かもしれないし、3年かもしれない。短距離だろうが長距離だろうが、必ずゴールがある。その与えられた期間に、どれだけ燃焼できるかどうかが恋人と育む人間関係だと私は思う。
恋人というのは、別れたら簡単に赤の他人となる相手。その相手が「自分の特別」な時にどれだけ濃い時間を過ごせるか。どれだけ愛し愛されるか。どれだけ色々なものを共有して、その後のお互いの人生の血肉の一部になれるか。
ゴールの時にはそれは燃え尽きているので、「その後」なんて私には必要ない。

「友達」というのは、私にとってはレベルの高い人間関係。簡単に「友達」は作れない。
ましてや、恋人というのは盲目だの熱情だのというフィルターをくぐって成り立っていた関係でもある。盲目が覚めて目が開いた時、熱がなくなって冷静にその相手を見たとき、まだ十分に魅力的な相手であるか。深い会話ができたり、自分が影響されるくらいの能力や感情を持っている人なのか。それは疑問だったりする。
恋人同士でのイチャイチャした時間は、ごまかせる手段でもある。関係からイチャイチャを取り除いた時に、長時間飽きずに話せる相手なのか、話が面白すぎて、また会いたいと思える相手なのか。そうでないと、元恋人は「友達」にはなれないし繋がっている意味すら不明になる。

友達のままでいたならずーっと長く続いたであろう男女の人間関係も、恋人になってしまったがために短い期間で終わったりしてしまう。友達と恋人は天秤にかけられないほどの別物の関係なので、どちらがよいとは言えない。ただ、両方は手に入らない。
「ずーっと長い関係」を求めたかったのにそれが叶わぬのなら、それは恋人関係を求めた側の過ちだろう。

「繋がっている」ことに意味がないと思うのは、生きてきたその場その場の瞬間や記憶で作られた体や心の中に残るものの方がよほど貴重だと思うから。
そこで得たもの。身に染みたもの。感じたもの。五感を働かせて全身で感じた感情は、もうすでに私の体に染み付いているので、そこで完結なのだ。
「終わりのないものはない」と一番感じられるのは、あらゆる人間関係の中でも恋人関係なのだろう。

五感を働かせて全身で何かを吸収している時。それが恋している状態。そしてそれが、「終止符」に向かって走っている時の状態。
人間はそれを繰り返す。
でも愛しい行為だと思う。

それに比べると、友達というのは安心感がありますね。何かあったらそこにいてくれる。
恋人は、いつか終わる関係なので、いつかはいなくなる。安心感も期間限定。それでも友達関係では得られない甘美なものがある。
どちらを取るか。どちらも、は手に入らない、のです。


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