邦画の中のブルース

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 26.2016 映画よもやま話
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「ディア・ドクター」を少し前に観た。
話は面白く楽しめた。
だが一つ、とても残念だったことが選曲。映画はブルースの曲とともに始まる。この時は誰の曲か分からなかったが、ブルースハープを聴けば自然と彷彿させるものがミシシッピデルタの湿気であり、泥色のミシシッピ川であり、あるいはシカゴのソウルフードであり、フライドチキンであり、ブルースバーであり、酒の匂いであり、またあるいはステレオタイプかもしれないがオーバーオールを着た黒人のおじさんがハープを吹いている姿であったりする。

懐かしい日本を偲ぼうという思いで邦画を観て、いきなりシカゴでお馴染みのブルースがかかったもんだから面食らったのもあるかもしれないが、ブルースとともに流れる映像が、どう見ても日本のアジア的な水田風景であり、日本の農家なわけで。。。。この2つの結びつきが私の中でマッチせず、すごい違和感を感じてしまった。
私が日本の田舎の農村を歩く時、あるいは車で通る時、頭に流れるだろう音楽は絶対にブルースではないからだ。私だけでなくほとんどの人がそうじゃないだろうか?日本ののどかな水田風景を見て、「ああ〜、ブルースだねえ。。。」ってならないよ。

映画って、建築と同じでトータルの芸術なので、何か一つ間違えると致命的になる。
映画音楽は登場人物の心情を表していたり、これから広がるストーリーを示唆していたり、登場人物の行動や、スクリーンの中に広がる光景に何かしらリンクしていないといけない。かかる音楽が予想外の意外性で「ここにこの音楽がかかるか。。」と、そのタイミングと巧みさに唸らされることは多々ある。音楽を使う映画を作るのならば、監督自身がある程度音楽に造詣が深くない(または詳しいスタッフに任せないと)と、観客に「ダサい」と思われてしまう。
調べたらモアリズムという日本のブルースバンドの曲らしいが、曲が悪いのではない。映画のあらすじを見ても、どうしてブルースが使われたのかよくわからない。

その違和感を忘れていた頃、「百円の恋」を観た。
この映画でもブルースがかかっていて(最近の邦画の流行りなのか??)、驚いた。だが、この場面のブルースはとても似合っていて、いいなあ、と思った。
主人公の、社会の底辺をさまよう負け犬女の姿に、人生に、ブルースしかないだろう、ってくらいよく似合う。
。。。私だって好きでこうなったわけじゃないんだけど、いつからこんな風になっちゃったんだろう?どうにかしなきゃ、と思う気持ちさえ面倒くさい。仕事もせず、男もいず、女も捨て、夢もない。
働き始めた100円ショップの仕事仲間も、どうしようもないクズ人間ばかり。恋をしても、相手のクズ男にさえ捨てられる。。。。
人生って、そんないいことあるはずないじゃん。。。。
ブルースそのもの(笑)

対照的な、「ブルース曲を使った邦画」ということでこの2つの映画を取り上げたのだが、「百円の恋」がとてもよかったので感想を少し。
腐っていたダメ人間がやる気を出して成功して幸せになる。。。。なんてなってしまったら「ロッキー」になる。
この映画は、ダメダメ人間がちょっとやる気を出してボクシングを始め、だんだん本気になってプロのボクサーの試験を受け、試合までするようになる。だけど試合ではボコボコに打たれて負ける。結果は負けだが、打たれても打たれても頑張る。
この先、大きな成功が待ってるわけでもなく、いい男が現れるわけでもないかもしれない。
だけどちょっとだけ、彼女の人生で何かが変わったのだ。大きくではないが、何かがちょっと。
そこらへんが、リアルである。
人間は、なんだかんだと夢を見がちだ。自分は大した器を持ってないくせに、大物になれる、天才肌だ、などと自己を過大評価する人間が社会には結構いる。
この映画は、人間は自分に見合うだけのものしか手に入れられないんだよ、という現実をどーんと突き付けてくるが、決してネガティブではなく爽やかな印象さえ残す。ちょっとやる気になって、ちょっと前進する人間でいいじゃないかと、彼らに向けられる眼差しが暖かいからでもあろう。
安藤サクラさんがいいですね。彼女の魅力は一口では語れない。美しいから魅かれる、というのとは反対で(笑)、怖いもの見たさで彼女の作品を追いかけてしまいそう。
美人な女優というのは、例えば「死の棘」の松坂慶子が、ノーメークで壊れた女を演じても、やっぱり美人っぷりは隠しようがなく、スタイルがいいのでズロース一枚になっても足が長くて綺麗なのだ。
ところが安藤サクラのような女優は、ブス役が思いっきりできて、下着姿になっても別の意味で迫力があり、それはそれは彼女の役者魂っぷりが極めて高いことがわかる。しかもこの方は、化粧や衣装一つですっごい美人に化けられる人なので、それも怖い。ブスになりきれない美人より、こういう役者は貴重なんじゃないかしら。


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「泥の河」と「木靴の樹」

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 03.2016 映画よもやま話
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以前からずっと観たくて観ていなかった「泥の河」(大体のあらすじはこちらを)をやっと先日鑑賞。
評判通りの名作。

まだ戦争を引きずっている昭和31年の大阪安治川河口が舞台。
川岸で食堂を営む両親を持つ信雄という少年と、ある日川にやってきた宿舟に暮らす姉弟との交流を描いた一夏のお話。
大人たちは全員が戦争経験者。皆が貧しく贅沢は言っていられない時代。そんな中で子供を必死に育てているし、子供たちも必死に生きている。

大人たちに「夜は近づいていてはいけない」と言われた宿舟では、姉弟の母親が売春をして暮らしている。信雄はそれを知らない。
父親を戦争で亡くした家庭の生きる道。女手一つで子供2人を育てていかなくてはいけない母親の事情が分かれば、どうやこうやと言えることでもなかろうが、皆が貧しい時代でも、卑しいことだと差別される人たちがいる現実。

舟で暮らす姉弟の暮らしを見て、あまりの貧しさに信雄は子供ながらに絶句する。実家が食堂の信雄はおやつにかき氷を食べているが、彼らは黒砂糖がご馳走だ。
ある日、食堂のラムネの瓶を3本くすんで舟に向かう信雄。だが、途中で思いとどまり、ラムネを次々と川に投げ捨ててしまう。
子供心でも、友達である彼らに「施す」という行為が、恥ずべきことだと感じたのであろう。施すというのはお節介でもあり、上から目線の行為でもある。貧しくとも明るく優しく生きている姉弟たちに、施す行為は侮辱であると信雄は無意識に感じるのだ。
姉弟が信雄の家の夕食に招かれた時、信雄の母は親戚に買っておいた女の子のワンピースを姉の銀子に着させる。「あげる」と言ったのに、銀子は着替えて丁寧にワンピースを折りたたみ、信雄の母に礼を言って返す。
そこにも、「こんなものは受け取れない」といった遠慮よりも、「我々は大丈夫です」と言ったプライドと「心配しないでください」と言った逆の気遣いが表れていて、小さな子供にそんなことされると、もう大人は何も言えない。

夏祭りの日、信雄のお母さんからお小遣いをもらって、信雄ときっちゃん(弟の方)は二人で祭りに出かける。「あれが食べたいなあ」「これが食べたいなあ」と目を輝かせて話すきっちゃんの、日常的な貧しさを感じさせるセリフが愛おしい。
だがお金を預かっていたきっちゃんは、二人分のお金を落としてしまい一文無しに。
「だったら先に食べておけばよかったなあ」というきっちゃんの子供らしい本音と、信雄の分までお金を落として不甲斐ないと感じる彼の罪の意識。
家に着いてから、きっちゃんの舟で彼は信雄に捕まえた12匹のカニを見せる。それを信雄にやると。信雄が断ると、きっちゃんはカニを次々に油の中に落とし、そしてカニに火をつける。火だるまになったカニは歩きながら、川に落ちていく。
野蛮な行為であるが、そんなことでしか信雄に罪滅ぼしができないきっちゃんの歪んだ心。

その日、客を取っているきっちゃんの母の姿を窓越しに見てショックを受け、信雄は家に帰る。途中、優しい姉の銀子に会うが、信雄は何も言葉を交わさず立ち去る。
翌朝、銀子ときっちゃんたちの舟が去っていく。何の挨拶もなしに、さよならもなしに。
信雄は舟を追いかけてなんども「きっちゃん」と叫ぶが、誰も中から出てこない。舟は川をずーっとまっすぐゆっくり走っていく。

この映画を観て、イタリア映画の「木靴の樹」を思い出した。
「木靴の樹」では、学校に通う息子の靴が壊れたため、父親が村の樹を切って木靴を作る。村の所有物である樹を勝手に切ったからと、家主からその家族は村を追われる羽目になる。
「泥の河」も「木靴の樹」も、貧しい人々が、生きるためにやむをえなくした行為のために、住む場所を追われる。
そして、追う方も追われる方も、余計なセリフが一切ない。静かに、去っていく。定めを潔く受け入れて生きる貧しい者たちへの敬意が、両映画に描かれている共通点。
「木靴の樹」は、追われた家族が去った後、戸外に一斉に出てきて見送る農民家族の仲間らの姿が印象的だ。セリフが一切ないが、追われる者への愛情と祈りが無言の中に表されている。そして、底辺に生きる者へ向けられる社会の不条理への静かな怒りがしっかりと。
「泥の河」も、見送る信雄の姿が泣かせる。自分が前夜、きっちゃんに冷たくしたからいけなかったのか、銀子と口をきかなかったからいけなかったのか、それが彼ら家族を責める原因になったのではないか。。。。 その後信雄は、混乱しながらずっとそれを自問し続け、一夏一緒に過ごした姉弟たちのことを想いながら生きていくのだろう。大人になる過程で、子供の頃には言葉にできなかったもやもやした怒りが何であるのか、きっとしっかりと感じていくのだろう。
追ってくれるな、とでも言うように、中から顔も見せずに川の上のすーっと走っていく宿舟は、悲しいながらも美しい背中を見せる。生き抜いていく逞しさでもあるような。

ワンシーンワンシーンが印象に残る、昭和の名作の1本であること間違いなし。


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「舟を編む」

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 21.2016 映画よもやま話
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ちょっと前まで、いい邦画情報を得てもアメリカでなかなかDVDが手に入らず、泣く泣く断念していたものだ(古い黒沢映画などは手に入るのだが。。。)
最近は国境も時差も飛び越えて手に入りやすい。テクノロジーに感謝しなくてはいけない。過去10数年の間観ていなかった邦画を、おかげで最近楽しんでいる次第。

「舟を編む」
とてもいい映画だった。「お、松田龍平が出てる!」と軽い気持ちで選び、どんな内容かも全く知らず、さほど大きな期待もしないで観た映画でとても感動できちゃうというのは、本当に得した気持ち。

ある程度大きな出版社の、一番地味でもある辞書を作る編集部の話。題材が面白い。
私は子供の頃から、わからない言葉があるとすぐに「辞書を引きなさい」と親から口癖のように言われて育った。本を読むのが好きだったので字を覚えるのも早く、幼稚園の頃は母親が使っている辞書を使っていた。辞書の説明の文字は漢字で読めなくとも、その単語に行き着くまでの道のりはひらがなとあいうえお順をさえ知っていれば辿り着ける。引けば引くほど、辞書を繰るのが速くなる。目に飛び込んでくる単語、単語。。。。目当ての単語にたどり着くまでに目に入ってくる別の単語単語。。。。一つの言葉を覚えるのに、同時にいくつもの言葉の意味を知れる辞書の偉大さ。辞書特有の薄い紙、匂い、指にしっとりついてくる質感。母や父が以前に引いた赤線。。。。

辞書というものは当然のように存在して、そこに載っている言葉や意味は絶対である。。。人が辞書に寄せる信頼感。
だが、辞書に掲載されている言葉を選ぶのも、それに意味をつけるのも、神ではなく人間。それぞれの出版社の人間たちが、膨大な年月を費やしてかき集め、削除や加筆を繰り返して選別し、言葉の説明を練りだして作った苦渋の結果の言葉の宝庫。

物語の設定は1995年。辞書の完成には15年や20年はかかるという。三省堂の大辞林(我が家は岩波の広辞苑だったが。。。)は28年かかったと映画の中で語られる。
完成時の2010年頃なんて、電子書籍がメインになって辞書なんて誰も買わないんじゃないか?なんて編集部内で危惧されている時代。
企画時点から大体の発売予定月を決める単行本、発売日がすでに決まっていて締め切りも変えられない週刊誌や月刊誌の世界とは大きく違う辞書編集部の世界。

気の遠くなるような地道な作業。言葉が好きでないとできない仕事。
編集部に配属される、不器用で真面目でいわゆる変人っぽい若手編集員のマジメさん(松田龍平)。
地味な作業には向いていないが、コミュニケーション能力に長けていて辞書編集部を救う西岡(オダギリジョー)。
編集長役の加藤剛、引退するベテラン編集員の小林薫というジジたちの中で、10年か20年後かに完成する次世代に通ずる言葉の責任を担う役の、個性的かつ対極的な若手2人がとてもいい。

この映画を通していいなあ、と改めて思ったこと。
すっごく好きなことがある者の強み。その好きなことに若いうちに出会えた者の幸せ(それを生活や仕事に十分活かせるから)。お金に変えられない好きなことに責任感を持ってやり通す人のかっこよさ。チームワークの大切さ。。。お互いに不足している者を補いながら一つの仕事をしていく仲間という者の素晴らしさ。

配役については、松田龍平が素晴らしすぎる。そしてオダギリジョーの相変わらずの脇役としての巧さ。
朴訥で、動きや表情やセリフの少ない難しい役を見事に演じている龍平くん。ああ、いい役者になったんだなあ。ものすごくおかしくてなんども笑ってしまう。
オダギリジョーは動作が綺麗だから、何度でも彼の動きを見るために映画を見直そう、なんて思ったりするのが常であるが、この映画の中の松田龍平は全くの「静」なのに、もう一度彼の演技を通して観たい、と思わせるほど絶妙。
静、暗の龍平に動、明のオダギリジョー。彼の軽さがうるさすぎず、やりすぎにならず、決してカッコ良くなく適度にダサい編集員役、いいコンビ。

世の中に龍平ファンは多いと思うのですが、私は、彼のデビュー当時はなんとも思わなかった。
優作の息子だとか、独特の色気を持った子だとか聞いても、なんだか全然ピンとこなかったし好みでもなかった。だから16歳のデビュー作の「御法度」も観ていない。
それから私もアメリカに移住してしまい、邦画も松田龍平の成長プロセスにも疎くなり。。。数年ごとに耳に入る、目に入る龍平くんの姿に「あれ?なんかいい男になったなあ」「めちゃくちゃいい感じで成長しちゃってる。。。」と感動を覚えたものだ。
独特の、他の人にはなかなかない(持とうとしても持てない)雰囲気、オーラ、艶というものが彼にはあるのね。それは元からあったものだろうけれど、成長とともにどんどんその艶も大きくなっていい形で開花している。開花に失敗する者もいるけれど、龍平くんはちゃんと育てた。
二世俳優で、しかも親が偉大すぎると、大成するのは難しい。デビューこそ恵まれていても、生き残るのは並大抵ではない。ここまで大物になれたのは、もちろんお父さんから授かった遺伝子も含め、自分にしかない味を自分のペースでしっかり築き上げたからでしょう。好きな女性に不器用に告白するシーンの表情(これは大きなシーン)から、玄関に座って靴を履く些細なシーンの姿まで、上手いなあ、演じていないように演じるのはすごいことです。
この映画もそうだけど、きちんと自分に合った作品選びをしているし、今後も大きな期待。

オダギリジョーも大好き。器用な俳優といったらこういう方を言うのでしょう。
スタイルいいし、アクションできるだけあって動きが普通は綺麗なんだけど。。。。この映画の役はダサめの役なので、そのオーラは全て消し去っているところもいい(笑)  コンビでお互いに映えるという関係が役者たちにはあるけれど、この作品の龍平&オダジョーコンビ、いいです。
ベテランの加藤剛、八千草薫(!)、小林薫が色を添えているのもいい。

この作品は美術も素晴らしい。辞書編集部の書類が所狭しと積み上げられた編集部内もいいし、マジメさんが下宿している2階建てのアパートが素晴らしい。階段、玄関、書庫、食卓。。。。美術さん、いい仕事してらっしゃいます。
内部はセットらしいが、外観は、なんか急な坂があるし本郷みたいだなあ。。。って思ったら、本当に本郷らしい。
本郷といえば、本郷散策記事を書いたこともある。本郷は東京大空襲で戦火を免れた地域が多く、今でも古い木造家屋が残っている貴重な地域。
映画を見たら、また本郷散策に行きたくなってきた。


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「愛のむきだし」

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 19.2016 映画よもやま話
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「冷たい熱帯魚」を観て、さらに園子温監督の映画を観たくなり、これを選んだ。しかし4時間近くある作品なので、なかなか手につかず。映画館ではインターミッションを挟んで公開されたらしいが、私もインターミッション挟んで、2日に分けて鑑賞終えた。

宗教を軸に描かれている恋愛(純愛)物語。
カトリック、カルト的な新興宗教、パンチラ盗撮、近親相姦、神父の肉欲、倒錯、ねじれた親子、愛情関係。。。。いろんなものが題材として組み込まれているので、切り口が多い。
これだけ切り口が多いのに散漫とならず、上手くまとめている点が凄い。

私自身、カトリックの家庭に育ったので、一般日本人がよく言う「宗教ってなんかピンとこないんだよね」という感覚よりは宗教は理解できる。
また、カルト新興宗教団体が雨後の筍のように育ち、日本社会を席巻していった様を見ながら育ったので、その団体に犠牲になった被害者、あるいは救われた人も含め、身近にはそのような人たちがいたものだ。「あっちの世界」へ行って帰ってこなかった人たち。。。安藤サクラ演ずるコイケほどキョーレツな悪魔はそこら辺歩いていたら怖いが、洗脳された取り巻き連中みたいな顔はかつて日本社会によくいたなあ、と思った。渋谷駅、駅の構内。。。。洗脳された彼らの表情は非常に病的なのだが、気にしないで無視すれば関係のない人たちだ。だが東京というのは時空を超えてすれ違う人も多い大都会で、かつて一緒に遊んだことのある幼馴染や同級生をその空虚な表情をした若者たちの中に見つけてしまうこともままあった。「向こうの世界」に行ってしまった彼らは、私のことに気づくこともなく、手相を見せてくれだとか「祈らせてください」だとか寄ってくる。昔、生き生きとした表情をしていた「普通の」子供だった彼らが、何をきっかけにこの世界に入ってしまうのか。毎日同じ場所に立つ彼らの前を、毎日同じような時間に通りながら、考えさせられたものだ。。。だが、答えはなかなか出なかった。

結構重いテーマが流れている話なのに(実話を基にしたというのは驚きだ)、そうならないのはキャストの素晴らしさのおかげ。
何を隠そう。私はこの映画で初めて知った西島隆弘くん(ユウ役)に恋をした(笑)
この出来事の方が大きいので、映画の内容よりも西島くんの魅力を語りたい。
壊れて神父になり、神父になっても壊れた父を持ち、罪作りのために盗撮を繰り返すという高校生役。こんなに屈折しているのに、こんなに爽やかで、観客を引き付けてしまうのは、西島くんが持っている清潔感のおかげ。
アクションシーンは、最初スタントがやっているのかと思った。それだけプロの動きでキレが良く、あまりに綺麗だったから。ところが西島君本人がやっていることを知りさらにビックリ。彼はダンサーなのですね(今更ながらのファンなので、申し訳ありません)。そして笑顔の可愛さ!アイドルだとかダンサーだとか、若いのに彼が今までやってきたキャリアが、十分この作品で生かされている。女装してこんなに綺麗な人もいないでしょ。
盗撮をしてキモくならない人、スケベにならない人、病的にならない人。。。西島君を起用したのは大正解だし、こんな人(西島君)がいたなんて奇跡です。
清潔感というのはなんなんだろう。先日観た「ジョゼと虎と魚たち」妻夫木聡にも感じる、清潔感。
これは持って生まれたものとしか言いようがない。ない人が身につけようとしたら、それはより不潔なものになる。
清潔感を持っている人だって、実際はスケベだし、悪いこともするし、ずるいし、罪を抱えているのである。悪人なのかもしれない。なのに、清潔感がある。これはものすごく得なことですね。まず、悪い印象を与えない。

西島くんの魅力ばっかり言っていると辟易されそうなので、ヨーコ役の満島ひかりについても。
ひかりちゃんは上手いですよね。初めて彼女を観たのは、奇しくも妻夫木くんと共演の「悪人」だった。「悪人」でもそうだったけれど、彼女はすっごく可愛いのに、すっごく憎たらしい役をするのが上手い。「悪人」の時は、「こいつ本気でぶっ殺してやろうか?」って妻夫木くんの代わりに思ったもん(笑) それだけ観客に同情させない憎たらしさを演じる可愛い子って、なかなかいないです。

園子温監督の作品は、脇役もどれも魅力でインパクトがある(ありすぎ)。
そんなおかげで、4時間の映画も飽きずに観れる(これってすごいこと)。4時間ダレさせない、って快挙。

一つだけ、茶々を入れたい。
ユウが育つカトリックの家庭の描写について。
夫が妻を亡くした後に勉強して神父になる、ということはあり得る。だがしかし、実の息子がいるのに神父になることは考えられない。しかも、その高校生の息子を一緒に神父の宿舎に居住させて一緒に暮らす、息子はそこから高校に通う。。。。なんてことは絶対にありえません。そんな例が日本のカトリック教会であったら、大問題ですね。
その点が現実味を帯びなかったのと、今の時代にあんなカトリックファミリー存在するのか?ってことも少々。家族で教会に通っても、家庭内であんなにマリア様崇拝するお母さんとか、息子にマリア像を植え付ける教育とか。。。。カトリックファミリーで育った人たちはよく知っていますが(教会の繋がりはあるので)そんなこと聞いたこともない。きっとそういう家庭はあるのかもしれないが、一般的ではない。
この点だけが、なんだかハリウッド映画で珍妙な芸者描写を見たときの「今でもこんなイメージなんだあ。。。」っていうような歯がゆさを覚えました。
でも、所詮、映画ですから。超、西洋人の願望が入った芸者がわんさか出てくる「SAYURI」をかなり楽しめちゃったのと同じように、この映画も楽しめるし、なんて言ったって西島くんの魅力が最大に詰まっているので(笑)とてもいい作品です。


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「ジョゼと虎と魚たち」

Posted by ジャンヌ(Mami Takayama) on 18.2016 映画よもやま話
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今更なんだけど、2004年の「ジョゼと虎と魚たち」を観た。

最近クセのある映画ばかり観ていたので、なんか久々にホッとする、「いい映画だな」と素直な簡単な言葉で表現出来る作品だなと観賞後に思った。
毎度のことですが、あらすじとかは省きます。また、作品の主旨から外れたところに感動して話を進めるクセもあります(笑)。

ラストシーンが心に残る。
ジョゼという足の不自由な彼女と別れた後、新しい彼女と主人公の恒夫(妻夫木くん)が二人で歩くシーン。デート中なのに、ジョゼを想って恒夫が泣き出してしまう。
これは完全にフェリーニの「道」へのオマージュですね。本当に大切な女性を失った男の涙。大泣き。
流れるセリフ。
「別れても、友達になれる種類の女の子もいるけれど、ジョゼは違う。僕がジョゼに会うことは、もう二度とないと思う」

名演をした池脇千鶴(ジョゼ役)がその場面にいないにもかかわらずこのラストシーンがいいのは、このセリフに言い表されていると思う。一番印象に残る人の、不在の存在感。

心に残るセリフだなと思ったのは、私も同じようなことを感じることがあるからだ。
別れても、(時を経てから)友達になれる男性もいるけれど、そうでない人もいる。この違いは何なのか、時々考える。

まず、別れてすぐに友達になるケースはない(私の場合)。
男と女は付き合っているときはとても近い関係なのに、別れると赤の他人。別れてせいせいする場合は思い出すこともしたくないが、寂しかったり恋しかったりしても、赤の他人になることを選ぶ。なぜなら、別れるときには必ず理由があり、その結論を出したことは自分できっちり認めたいからでもある。

すぐに友達になれる場合というのは、お互いに本気でなかった場合に限るけど、本気でないほど魅力的でない相手なら友達になる必要もあまりないから、自然とこれも消滅する関係性なのだ。

さて、この映画は大学生くらいの若者たちの世界だから、「僕がジョゼに会うことは、もう二度とないと思う」と恒夫はきっぱり言っちゃっている。
「もう二度と」とか「絶対に」という言葉はあまり意味がないことは、年齢を重ねると知ることになるもの。
「もう二度と会わない」と信じて別れた男性と、年月を経て再会する、というミラクルまで味わうことができちゃうのが大人の世界。

「別れる理由がきちんとあって」別れた男と、年月を経て会って友達になれる場合。。。。それはお互いの気持ちが対等でないとできない。お互いに結婚しているとか、子育てに追われているとか、もうお互いに恋愛心はないけれど懐かしいね、嫌いになって別れた相手じゃないしね。。。というように、お互いの家庭のことを話し合ったりできる仲になれば、元彼、元彼女というのはとてもいい友達になり得る。

いい友達関係に「なれない」ケースは大きく2つある。
一つは嫌いになって別れた相手。若い頃は過ちというのも多い。「なんであんな人と付き合ってたんだろう?」と後から思うケースもある。そんな相手には再会したいとも思わない。再会する意味が全くない。
もう一つは、お互いの気持ちが平等じゃない場合。一方に未練があり、もう一方はさっぱり恋愛感情など持っていない場合。これはいい友達関係にはなれない。会えば会うほど未練がある側は気持ちをまた募らせていくだろうが、もう一方は疎ましく感じるようになる。

そして、友達関係にはなれないが、また恋人同士のように戻ってしまう関係もある。
別れた時は決着がついていても、流れる月日の中でお互いにいろんな人と恋愛しそれなりに幸せな生活を手に入れていたとしても、お互いに同じくらいの気持ちで相手を思いやることができる関係で再会できたとしたら、そこには友情ではなく恋愛感情がまた生まれたりする。
友達ではなく、男と女の関係にしかなれない間柄。これこそが、場合によっては「会ってはいけない関係」というものでもあり。
恒夫とジョゼは、この種類の関係なのだ。会ってしまえばまた惚れる。だから「もう二度と会うことはないと思う」と固く決心しなければならないのだ。

かつて好きだった人に再会し、また新たに恋に落ちる、というケースの方が稀だ。特に、恋愛に「上書き保存」をする女性にとっては。
だからこそ、また恋に落ちることができる、というのはラッキーなことなのかもしれない、と考える。月日というのは人間を、外見だけでなく中身もえらく変えてしまう。趣味も、交友関係も、環境も、価値観も、考え方も、物腰も。それだけ変貌しているのに、昔好きだった人をまた好きになることができる、というのは幸運なことなんじゃないのか?少なくとも、期待して再会してガッカリする、なんていう例よりはいい。

ところで私的なことだが、妻夫木聡を見ると思い出す元彼がいる。
風貌とか話し方とか笑顔とか。どことなく似ている。ブッキーのことはよく知らないが、きっと性格まで似ているところがあるんではないかな。
そんなわけで妻夫木聡を見ると、なんだか懐かしくなる。勝手に親近感を持って、知り合いが映画に出ているような感覚で鑑賞できた(笑)。


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